趙挙才さんが迫害により体が不自由になり、不法に7年の刑を言い渡された
【明慧ネット2006年10月4日】湖北宜昌地区宜都市の法輪功学習者・趙挙才さんは2006年3月に自宅から拉致され、ずっと宜都市第一看守所に監禁されていた。2006年7月はじめ、趙さんは宜都市邪党の法院に5年の刑を言い渡され、8月31日に宜昌市中級法院にさらに2年の刑を延長された。
そのとき、趙さんは下半身に力がなく、両手で地面を支えて少しずつ法院に移動してきた。法廷の中で、宜昌市邪党の中級法院、宜都市邪党の法院、宜昌市邪党の検察院は不法に趙さんに「判決の決定を妨害する罪」で告訴した。趙さんは法廷ですべてを否認し、さらにこれらは不法な告訴で、認めてはならないし、彼らは将来その責任を負わなければならないと指摘した。
一時間後、主審員(40数過ぎ、男性、少し痩せている)は趙さんに、「第一審の判決はが軽すぎた。今回さらに2年延長して、合わせて7年の禁固刑を言い渡した。当時、法廷で審判に参与していた人は10人前後で、ほとんど宜都の国家安全局、610オフィスの者であった。傍聴席に座れた人、趙さんの奥さんと5歳の息子の二人しかいなかった。
当時の事情を知っている人によると、不法な審判が終わったとき、宜昌市中級法院は不満が漏らしたという。事前に宜都市法院は証拠物を中級法院に渡さなかった。明らかに中級法院は材料も見ないで判決を出した。「審判」はそれほど不法ででたらめだった。
趙さんがいま全身むくんで、食事ができず、生活する能力が完全になくなり、輸液で体を維持しており、状況はかなり厳しい。40歳過ぎたばかりなのに、見た目は60歳の老人に見えた。趙さんは保釈を強く求めたが、宜都市610オフィスに拒否された。
趙さんは宜都市紅花タオ鎮周家河村出身で、法輪大法を修煉して、体格がよく、健康だった。真相を説明したため、1999年に弾圧が始まって、少なくとも5回悪らつな警官に拉致され、3回ほど不法に拘留され、2回労働教養を言い渡され、合わせて3年間監禁された。体も精神も大きく傷つけられた。2001年4月、湖北沙洋労働教養所で「剣を背負う」酷刑を受け、さらに地面に押し付けられ暴行され、その後、警察に密室に連れて行かれ電気棒で電撃され、ツボを圧され、頭を壁にぶつけられたりした。当時「610オフィス」の楊という課長は「なぐったからどうした? われわれは法律のぬけ穴を利用しているんだ」と言った。
趙さんが沙洋労働教養所の残虐な迫害で、両足が間欠性不調に襲われ、ちょっと歩けばすぐに転んでしまう。それでも警察は彼に走ることを強要し、結局両足がけがをし、悪化した。
2005年9月23日深夜、趙さんはまた紅花タオ鎮派出所警察に家宅捜査を受け、尾行され、仕方なく家を出て各地を流離った。2006年2月、趙さんが家に帰省した3月1日、610オフィスにドアを破壊され拉致された。そして、ずっと宜都市第一留置場に不法に監禁されていた。留置場の中で警察の酷刑を受けた。
趙さんの妻は何回も公安局を訪ね、留置場の規定によって趙さんと面会したいと申し出たが、彼らに罵倒され、拒否された。
趙さんの家はいま非常に貧困で、娘は今年高校卒業予定で、有名高校であるが、大学に行く費用がなく、仕方なく出稼ぎに出かけた。趙さんの妻は一人で畑仕事をして、幼い息子は小学校に入ったばかりである。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/10/4/139338.html)
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