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衆生に慈悲をもって接し、縁ある者を一人も残さない


 文/ウクライナの大法弟子

 【明慧ネット2006年10月1日】師父、同修こんにちは!

 私は、イレンナといいます。ウクライナにいる大法弟子です。「衆生に慈悲をもって接し、縁ある者を一人も残さない」のタイトルで皆さんと交流したいと思います。

 冬のある日の事です。私は真相を伝える大切さを改めて実感しました。活動中にある学習者は煉功し、私はチラシを配っていました。当時、私の体調はとても悪く、喉が痛くて熱も出ていました。私は極力さまざまな間違った考えを抑え、チラシを配り続けていましが、体調は依然として良くなりませんでした。遠くで、ある老婦人はずっと真善忍のパネルを見ていました。よく見ると、かなり年を取っていて、弱々しく見えますが、ずっとパネルを見ていました。チラシを渡そうと思いましたが、ちょうどそのときに、老婦人がゆっくりと自分と反対方向へ帰って行きました。私はあまりに体調が悪かったので追いかけるのをやめました。

 しばらくたってから、さっきの老婦人が100メートル先に私に背を向けてずっと立っていることに気づき、驚いてしまいました。「なぜ、彼女はそこで立っているのか? 迷子にでもなったのか? それでも落としものでもしたのか?」と不思議に思いました。突然、分かったのです。私を待っているのです、私に救い済度されるのを待っているのです。きっと師父が教えてくれたのだと思います。それから、猛スピードで彼女の所までいって、チラシを渡しました。彼女は感謝するような目で私を見て、丁寧にチラシを折り畳んでカバンにしまいました。そして、笑顔で立ち去りました。

 その一瞬、いろいろな事が分かりました。全ての衆生は法を得るためにやって来て、

 全てを大法弟子に期待しているのです。これらのことは、必ず大法の角度から問題を見るように目覚めさせてくれました。衆生を救い済度することを基点にし、全ての機会を利用して真相を伝えていくことは、われわれ大法弟子の責任です。

 最後に、師父の「人心を放下し、世の人々を救い済度する」の説法を引用して終わりにしたいと思います。「法を正す時期の大法弟子にとって、個人の解脱は修煉の目的ではありません。衆生を救いすることこそ、皆さんがやってきた時の大きな願いであり、法が正される中で歴史が皆さんに賦与した責任と使命です。ですから、大量の衆生は皆さんが救い済度する対象になります。大法弟子は法が正される中で賦与された偉大な責任を台無しにしないでください。更に、救い済度される衆生を失望させないでください。皆さんは彼らが未来に入ることができるかどうかの唯一の望みとなりました。」

 以上は個人の次元での理解であり、不適切な所はご指摘をお願いします。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/10/1/139037.html