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内モンゴル強制労働教養局による法輪功学習者に対する犯行


 文/内蒙古法輪功学習者

 【明慧ネット2006年10月9日】江沢民・羅幹犯罪グループが法輪功学習者に対して強制労働教養による迫害を始めて以来、上級司法部門及び610オフィスの指図に従い、内モンゴル強制労働教養局は、不法に監禁されている法輪功学習者を迫害する、全区の各強制労働教養所の指揮部門になり、法輪功に対する迫害がその仕事の核心となった。数年間、かれらの犯行は内モンゴルの東から西に至る数千キロメートルの地域に及び、邪党の指導幹部らは絶えず東部の図牧吉強制労働教養所、中部の呼和浩特[フフホト]女子強制労働収容所と西部の五原強制労働収容所など、法輪功学習者を監禁している三つ強制収容所の間で勝手にふるまった。多くの迫害事件はみな強制労働教養局の画策によるもので、ひいては強制労働収容所の幹部らが現場に自ら訪れて監督指導し、バックアップしたのである。まさに強制労働教養局というこのいわゆる上級部門(不法部門)の指示と扇動があったからこそ、各強制労働教養所の悪辣なやからの迫害行為は更にしたい放題になり、しかも未だに続いている。

 迫害に参加した悪人には、内モンゴル強制労働教養局の元の局長兼党委員会書記の烏力吉(モンゴル族、約50歳)、副局長の宋建平(約40歳)、強制労働教養局の教育課課長の柴建忠(約40歳)、強制労働教養局の教育管理課主任の魏樹林(約50歳)、強制労働教養局××課課長の張玉喜、及び各課の責任者が含まれる。

 下記は内モンゴル強制労働教養局がこの数年間に行った迫害犯罪行為を簡単に纏めたものである。

 一、強制労働教養局は強制労働教養所での拷問による転向を監督指導した

 該当強制労働教養局の悪人による犯行は最初呼和浩特女子強制労働収容所にて実施された。江沢民・羅幹グループが法輪功学習者に対して強制労働教養を実施した初期、内モンゴルでは約10ヶ所の強制労働教養所に法輪功学習者が監禁されていて、各盟市(内蒙古自治区の行政単位)に分布していた。法輪功学習者の平和的な姿を目にして、強制労働収容所の警官らはすぐ真相が分り、多くの警官、さらには指導幹部も法輪功学習者に対してとても同情していた。ある強制労働教養所の所長、及び政治委員はかえって公然と法輪功学習者の道徳素質をほめたたえ、ひそかに法輪功学習者を探して談話をし、いつも悪党が今までの運動で用いた残虐な手段を列挙して、法輪功学習者に忠告するだけで、それがすべてだった。数ヵ月後、各強制労働教養所の転向率はすべてゼロだった。

 内モンゴル強制労働教養局は強制労働教養所がいわゆる「転向仕事」に対して「要領を得ていない」と称して、呼和浩特女子強制労働収容所を全自治区での強制転向の試験場所と指定した。数ヵ月後、いわゆる「転向仕事」は「顕著な効果」を得られたということで、その強制転向の邪悪な手段は司法部内部で印刷された数本の洗脳教材(その中に載せられている邪悪の文書二つは、悪名で知られた馬三家強制労働教養所より提供された)に採用された。この面からでもその犯行の一部が分かる。かれらが当時総括した転向経験とは実際は悪党が数十年以来、累積した人を苦しめる手段である。それらには、脅しと利益の誘い、精神迫害の実施、嘘で絶えず洗脳すること、強制的に隔離すること、各種の拷問道具を用いること、背後にて手錠を嵌めること、電撃、及び睡眠を与えないなどなどが含まれた。20歳くらいの若い女性・張自如さんはまさにその期間に迫害により精神が異常になり、またある法輪功学習者は手錠を嵌められて、手首がぼろぼろになった。

 2000年9月の中旬、強制労働教養局の柴建忠、魏樹林はみずから、内モンゴルの中西部に位置する各強制労働教養所に不法に拘禁されている法輪功学習者を護送し、密かに五原強制労働教養所(当時は東土城強制労働教養所と呼ばれた。数千万元を投資した、新しい教養所が2001年11月に完成して使用され始めて、正式に改名された)へ移した。同時にこの2人は五原強制労働収容所で陣頭に立って、警官に強制転向の邪悪な手段を直接教えた。入所すると、直ちに集中的な洗脳を始める。毎日強制的に法輪功を中傷するいわゆる「法制教育課」という授業を受けさせ、宿題及び問答形式で法輪功学習者を強迫して、罪を認めさせ、かつ大法と自分の師父を中傷させる。法輪功学習者は積極的にそこの警官に真相を説明した。多くの警官は真相をほんとうに認めていた。

 入所して、3日目の洗脳班で、1人の女性警官が法輪功学習者の趙立志さんに『憲法』条項を暗記するように言った。趙立志さんは覚えてないと言い、『憲法』はわれわれの信仰の権利を保障してないと言った。夜7時に、趙さんはあるオフィスに呼ばれて入った。そこには柴建忠、魏樹林、強制労働教養所の副所長兼政治委員の穆建峰、もとの教育課長の劉保華、第4大隊の中隊長の魏玉智などの7人が待っていた。始めは趙さんを拳で殴ったり、足で蹴ったり、ゴム棒でたたき、電撃棒で電撃し、趙さんに三書を書くように強要した。暴徒らは7時から夜11時までずっと殴打し、床には多く血が流れていた。その後、趙さんは正念が足りなく、妥協したのでやっと、悪辣なやからは手を引いた。

 ある法輪功学習者がこっそり外に送り出した手紙の中にはこのような叙述があった。「(時間は2002年2月24日の午前)、彼は私を一階の広いホールに連れて行った。当時、趙ナイ衛、張鉄峰、張セン、王東雷、李衛東、劉躍龍、閻文軍、張大虎など8、9人の警官がそこにいた。部屋に入ると、彼らは私に靴下を脱ぐように言った。李衛東はタオルで私の口を縛り、縄で私の両手を首の後ろにまで持ち上げてしっかり縛り、縛り終わったら、三本の電撃棒で私の耳、顔、首、後頭部、おなか、肛門などを残忍に電撃した。電撃棒の先端には青色の火炎がきらめき、ぽきんと音を出していた。私の頭は電撃により絶えず震動し、左右に揺れ動いていた。頭は地面に押されて電撃された。私は後ろで縛られていて動けなかった。かれらは私の体をひっくり返して、また顔、前額と耳、後頭部などを次から次へと電撃した……」

 二、「問題が起きたら、上層部が責任をとる」:したい放題の虐待

 2002年8月に、五原強制労働教養所の2年以上に亘る狂気じみた迫害後、当時不法に監禁されていた50人以上の法輪功学習者は1人も真善忍に対する信仰を放棄しなかった(以前強制的に転向された人はみな厳正声明を発表して、転向を廃棄し、大法を最後まで修煉する意を表した)ことにかんがみて、強制労働教養局の指導幹部を含めた、数人の自治区指導幹部が8月27日に五原に訪れ、膨大な数の警官に向け、連続して迫害動員会議を開き、すべての法輪功学習者は必ず100%の転向率に到達しなければならないとわめきたてて、しかも迫害計画に対して、綿密な按排をした。すべての法輪功学習者はみな試練を受けなければならなかった。数日間連続してビル上下にて電撃の音が絶えず聞こえ、数人が禁足室に隔離されて迫害され、数人は数十日も立たされて、足がバケツのように腫れ、老年法輪功学習者の楊鳳玉さんは麻薬常習犯に絶えず持ち上げては下へ投げられた。また、鉄の足枷をかけられ、数日間歩くことも不便になった。馮天治さんは数組に分かれた麻薬常習犯らに交替で、連続して3日間殴打され、何回も気絶した。一ヶ月近く続けられた迫害の中、多くの法輪功学習者は程度の違いはあれ傷害を受け、不具になった人もいる。

 7年間、五原強制労働教養所での迫害は終始止まったことはなく、本文を発送する時も、まだ法輪功学習者が禁足室に監禁されて、人に知られてない迫害を受けていること、その中には70数歳の老人もいることが分っている。(詳細は『明慧ネット』をごらんください) 2000年9月27日、強制労働教養局の他の数人の悪辣なやからは、東部の各強制労働収容所に監禁された法輪功学習者をみな図牧吉強制労働教養所へ集め、一緒に拘禁し、迫害した。2001年11月17日に、法輪功学習者の付桂英さんが悪辣な警官に殴打されたため、全所の70数人の法輪功学習者は自発的な断食で抗議した。法輪功学習者の馬秀芹さんは師父と大法を攻撃する文章を排斥したため、内モンゴル強制労働教養局の張玉喜課長は図牧吉強制労働教養所の李課長と3人の警官を引き連れて、彼女を車で旧公安局の空き部屋に連れて行き、残虐に殴打した。5人が一斉に彼女を殴り、手の親指と人差し指の間に手錠を嵌めて、用心棒らに手錠を引張らせ、上下、左右に力いっぱい揺り動かし、手首を後ろにねじって行き、縄で手と腕を縛り、痛くて気絶するまで吊るし上げた。こうして7、8回吊るし上げ、4回気絶しても邪悪なやからは彼女を放さなかった。また脚で彼女の背中を押し、電撃棒で彼女の頭部を電撃した。彼女はこうして2時間近く虐待された。吊るし上げてから、片方の手はとても長い間、使えなかったにも関わらず、また強制的に奴隷のような仕事に行かせた。

 法輪功学習者の胡素敏さんもこのように連れ出されて迫害された。この間、数十人の法輪功学習者が程度異なる迫害を受け、虐待された。連続して数日間吊るし上げられた人もいれば、殴打され、電撃された人もいる。

 強制労働教養局は呼和浩特に位置している。そこで、悪辣なやからによる呼和浩特女子強制労働収容所に監禁されている法輪功学習者に対する迫害は終始高圧的態勢で処されていた。例えば、妊娠して数ヶ月の法輪功学習者を高圧の電撃棒で長い時間電撃し、かつ手錠を嵌めて吊るし上げた。ある法輪功学習者は陰部が悪辣なやからに蹴られて化膿した。断食する法輪功学習者に対しては灌食し、数日間連続して口に鉄のくつわをかけていた。また昼夜ぶっ通しで手錠を嵌めて吊るし上げるなどなど。2001年年末に強制労働教養局が苦心して組織した、法輪功を中傷する大会にて、数十人の警官は手に電撃棒をもって会場を見回っていた。貴賓席に坐っていた強制労働教養局の指導幹部らの前で、数名の法輪功学習者はその場でタオルを口を詰め込められ、地面に押し倒された後、強制的に外のキッチンに引きずられて狂気じみた殴打をされ、電撃された。しかし、中傷大会は依然として開かれていた。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/10/9/139713.html