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不意に口にした話から連想したこと


文/大陸の大法弟子

【明慧ネット2006年10月13日】最近状態が悪く、三つのことはやっているが良くできていない。これまで法を暗記していたが、一日のうち十数ページ、二十数ページも暗記できたのに、今は一日1ページ、ひどい時には1段落しか暗記できない。発正念についても、以前は非常に良くできて、いつも心を落ち着かせて、体中からエネルギーを出していたように感じた。しかし、最近は集中できず、寝てしまった時もある。真相を伝えることも以前ほどの効果は出ていない。

 そこで私は自分に対して、私は一体どこに問題があるのか?つい最近、不意に口にした話を聞いて、私はやっと気づいた。

 2日前、ある同修は私に資料を送るように頼んだ。そして、ドアから出るときに「ありがとう」と言った。私は「いいえ、皆法のためにやることだから」と答えた。そう言ったとたん、私は自分が間違えたことに気づいた。法のためではない、師父は説法の中で、「皆さんが行った全ての本当の目的は皆さんの成功のためです。」(「2003年旧正月十五日米国西部法会での説法」)とおっしゃった。

 この不意に口にした言葉は、得てして修煉者の当時の状況を反映できるものだ。法のためだと口にしているが、その根本は私のためにある。そこで私は自分に、あなたのやっている基点はどこにあるのかと自問した。私はやっと気づいた。最近、あまり精進できていない。その原因は、すべてのことをする時、基点を「私」に置いていたからだ! 以前、状態が良かった時を思い出せば、その基点は法にあった。心の中で、衆生を救い出そうと考えていたからだ。

 法を正す時期の大法弟子の使命は、師父のもとで法を正し、衆生を救い済度することである。大法の中で修めて向上できた私達は、純粋で自分よりも他人を先に優先し、無私無我の存在であるべきだ。それなら、どうして法のためにやるというのか? それらは、もともと私達がやるべきことであり、自分自身の円満成就のためにやっているのである。しかし、実は師父が私達を助けてくださっているのであって、私達が師父を助けているのではない。私達は師父のもとで衆生を救い済度しており、世人の希望である。法に基づくことで、初めてより良く衆生を救い済度することができるようになる。

 これらに気づいてから私は、再び発正念をしてみると、また以前のように集中できるようになり、エネルギーの場を強くなった。私達は、自分に隠されている根本的な執着を取り除き、私達のやるべきことをやるように努力すべきである。

 私と同じような状況にある同修も、しっかりと自分はどこが間違っているのかを考え、私と同じような間違いを犯していないのかを考えてみてほしい。

 個人の悟りには限りがあり、不適切なところは同修の慈悲なる指摘をお願いします。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/10/13/139939.html