情に対する執着を取り除いてはじめて慈悲は生じる
文/大陸の大法弟子
【明慧ネット2006年10月16日】少し前、別れて十数年経つ、ある大学生当時の友人が私の所に遊びに来た。ちょうどその時、私は家にいなかったため、彼女と会えなかった。その後、この同級生にせっかく来てくれたのに申し訳ないと思い(これも人心だが)、彼女の家に行って真相を伝えようと思った。
私を見ると、彼女は非常に喜んでくれて、共に大学での友情を思い出そうとしていた。その時、私の「情」も出てきた。そして、私は大法について話したが、彼女は反対しないと言い、そして彼女の母も修煉者であると言った。しかし、彼女のここ数年間における増収は、共産党の功労であると信じており、しかも中共組織からの脱退について知らなかった。これは機会だと思い、ある日の夜、彼女が家にいない時、私の子どもが彼女の子どもに、中共は滅ぶ運命にあるから早く脱退するように、と告げた。彼女の子どもはそれを信じなかった。私も、傍らでその子どもに、これは本当だと言った。すると子どもはただちに緊張し、重要だと思い始め、母に早く帰るようにと電話をした。私の友人もただちに戻ってきた。そこでその子どもは、私の友人にすべてを告げた。友人は、私がこんなことを子どもに教えるべきではないと言い、そして子どもに対し、私が言ったことはすべて嘘だと言ってから、私はあまりにも過激だとして、帰るように言った。この数日間、彼女は私達に対して非常に親切だったが、この前のことがあったため、それ以来脱党について再び言及することができず、彼女を救い済度する機会を失ってしまった。彼女はかつて私と縁があったので、師父に頼んでもう一度別の機縁を按排するようお願いをした。その後、私は夢を見た。夢の中で、他の大法弟子が彼女を救おうとした。
私はどうして今回よくできなかったのか、内に向けて探してみた。その頃、あまり学法しておらず、発正念が少なく、情が重すぎた。常人と一緒にいると、正念が強くなければ再汚染される過程に過ぎない。私の同級生はお金持ちで、別荘や高級車を持ち、家に戻ってからたくさんの名利の心が生じてきて、毎日不動産の価格と、車についての情報に気を取られ、常人との関係を正しく持つことができなかった。正しくないと知っていながらも、いつもこれらのことを考えていた。私は非常に苦しんでいた。それから私は、「最後になればなるほど精進すべき」を暗記し始め、師父の法理をもって、自分のこれらの観念を取り除くことができて、少し楽になった。しかし、それでも以前ほどの状態に戻れず、師父も二度ほど夢の中で、自分に漏れがあると啓示をくださった。そこで、私は再び学法をして、ついに私は、最初に同級生と会おうと決めたのは、情という基点に立ったことで、自分に真相を伝えるという口実を許したからだと気づいた。真相を伝えるには、多くの方法がある。どうしても、こんなにはるばると遠くまで友人の所まで行く必要はない。実は行くにしても、行かなくても、重要ではない。重要なのは、どのような基点にもどづいて行うのかによる。私はこのように悟り、再び法に基づいて衆生に対して慈悲な気持ちで衆生を見ることができるようになったと感じた。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/10/16/140134.html)
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