撫順市留置場と教養所における残酷な暴力
(明慧日本)私は2000年に撫順市第二看守所(将軍堡に位置します)と撫順市教養所(東洲区に位置します)に不法に拘置された。そこで、私が経験した事と見た事を世の人々に伝える。
一、 撫順市看守所
当時多くの法輪功学習者が遼寧省、北京へ上申した際に不法に逮捕され、2000年初めに撫順市看守所に拘置された学習者は当時十数人おり、女性の学習者が多数を占めていた。留置場の悪らつな警官及び悪らつな警官が指示した受刑者は学習者に法を学ばせず、煉功させず、交流させず、長時間板に座らせ(一種の懲罰刑)た。公に煉功し、法を暗記する女性学習者に対し、食事をさせず、手錠で鉄の門に縛り付ける。夜中に煉功する学習者に対し、警官は受刑者に指示して拷問させ、水を学習者の室内にかけるのである。記憶によると当時の所長は刘鵬であった。
二、 撫順市教養所
当時、撫順市教養所では市、省、北京へ上申しに行ったり、資料点並びに真相を配る学習者が集中的に拘置され、男隊と女隊に分かれていた。全て逮捕されて来た学習者は先ず趙という受刑者を先頭にした3人が管理する転向班で「三書」を書かされる。その後、法輪功学習者を収容する大隊へ送った。この3人の受刑者は警官の関心を得るため、転向せず 「三書」を書かない学習者に対し180度に足を開脚させ、飛行機のように吊り上げ、殴る蹴るなどの各種の拷問を用いた。趙という受刑者の話によれば、彼は数百人を転向させたという。
警官は表面ではこれを制止しますが、実際は彼らが後ろで指示してやらせており、受刑者の刑の軽減はどれだけの人を転向させたかに関係してくる。
厳重管理班で転向した者を警官の呉偉は大隊に送り収容する。新しく収容した学習者を、転向した人に指示して強制的に洗脳する。毎日、大法及び師父を誹謗する文章を書かせ、大法及び師父を罵る。その目的は学習者の意志と正念を破壊するためであり、正念を持っている学習者を独房に入れ、転向班に殴打等の方式で迫害させるのである。その中の黄という院長は会議の時に「ここは専政機関であり、ここに来たら転向する者は転向し、転向しなくても転向させる」と言った。
2006年10月23日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/9/26/138712.html)
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