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智慧の目を以って「情」の裏にある邪悪の干渉を識別

(明慧日本)学習者との交流で、常人との付き合いで「情」が溢れることは、多くの場合、執着になりがちだと知らせると、その学習者は、それは常人の状態に符合しているだけのことだからと、あまり気にしなかった。師父は説法の中にも最大限に常人の状態に符合するようにおっしゃっていましたが、これは決して常人と混同するような意味合いではありません。私たちは常人生活の中で家庭を持ち、職に携わることなど、その他いろいろとありますが、そのすべては師父が常人社会に符合する中での修煉形式を段取りしてくださったものです。

 常人のどんな環境においても、様々な誘惑に引きこまれてはならず、自分が一人の大法弟子であることを忘れてはなりません。私たちは、職場であろうと、家庭であろうと、常人のどんな場所にいても、人と人との間でよく対処して、師父の言われたように常人の模範人物より良い行いをしなければなりません。仕事をよくこなし、家族を愛し、人に優しく思いやりをもち、どこにいても大法の高い基準で自分を無私無我の良い人間になるように要求しましょう。

 修煉の道のりでは、邪悪に隅々まで狙われており、特に正法のこの最後の時期に邪悪はますます多くなり、干渉に気付くことが難しくなりました。これらの形態は、いつも表から理に適ったように善に見え、こうして知らないうちに一部の学習者は邪悪の仕掛けた落とし穴に陥り、「情」に入り込んでしまいます。そして、家庭崩壊、リストラ、経済困難など、次から次へと問題が絶えず出てきます。その中でも、常人から助けの手を求めてきたという情況があっても、その善良な人に出会った時に、男女の間での態度を慎まなければなりません。

 師父はこのように言われました。常人の思想は非常に邪悪に操られやすいのです。邪悪は助けてくれる人を操って「情」というものを発揮し、わたしたちの正念を消そうとし、正法の道のりから外れるように狙っています。また、常人生活の中で学習者の邪悪に対する警戒心が薄くなり、毎日の仕事や日ごろの行いなどをやっているうちに、自分が一人の修煉者であることを自覚しなくなる場合もあります。私たちはいつでもどこでも修煉者としての正しい念正しい行いを忘れてはならないし、できるかぎり出会ったすべての人に大法及び学習者が迫害されている真相や大法の素晴らしさを知らせ、慈悲なる師父の救い済度において縁のある者を大法の中に連れて入るべきです。

 もし法を学習することを任務または日課と見なして常に法理から理解を深めなければ、その時、邪悪は常人の各種の「情」と「利益」で私たちを誘惑するように利用してきます。こうして、法を深く学習せず、意志が弱くなり、誘惑に引きずられて諦めるようになるのは、邪悪が常人の中の「情」を利用し、私たちの修煉に干渉したり修煉の人の意志を失くしたりする最も悪らつで最も隠蔽な邪悪の手段となるのです。

 学習者の皆さん、正法の最後の時期に、もっと法の勉強に精進し、正しい念正しい行いをより強め、時々刻々警戒心を持ち、大法からいただいた智慧を活用し、いつでもどこでも邪悪の落とし穴に注意し、修煉者への様々な邪悪な迫害を暴露し、学習者とともに団結して精進しましょう。私たちの一体の修煉は壊されることはありません。

 慈悲にご指摘ください。

 2006年10月28日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/10/26/140950.html