日本明慧
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いくら忙しくても法の勉強時間を確保する

(明慧に本)師父は次のように言われた。「いくら厳しい環境下であっても、いくら忙しくても、法を学ぶことを忘れてはならず、必ず法を学ばなければならず、それこそ皆さんが向上するための最も根本的な、最も根本的な保証だからです。」。(『米国フロリダ州での説法』)

 師父が何度も繰り返し、もっと法を学び、よく法を学びなさいと言われているが、周りの同修は忙しくなると法の勉強が少なくなり、更に数日間も法の勉強をしない時もある。

 実際には法を学ぶ時間がないからではなく、法の学習を重視せず、法の勉強をしっかりしていないからである。師父は我々に最後になればなるほどもっと精進しなければならないと要求しており、また正法の最後の段階になると、我々における法の要求も高くなり、我々は今、必ず法の勉強を重視しなければならない。

 一、利用可能な全ての時間を無駄にしない

 同修の間では、必ず言わなければならない事、やらなければならない事以外は、お互いに邪魔をしないようにする。私の家には、7、8人の同修がよく集まったりする時があるが、無駄な話をしてしまう時も多く、止めさせようと思っても同修の気を悪くしてしまう心配がある。実はこのような心配は人心である。時間を無駄にすると辛くなり、同修の不足を見つけたら指摘して、時間を大事にすることを教えるべきである。もし、我々が毎日時間を無駄にせず、長い期間にわたって少しずつ積み重ねると沢山の時間を節約することができる。そこで時間を効率よく手配することは、我々の正法時期の大法弟子とってとても大事なことである。

 二、自覚しにくい「仕事をする心」と「自己を証明すること」を必ず識別しなければならない

 私はある時期、同修の頼みであれば必ず承諾し、さらには余計なことまでして、無私で充実しており、すばらしいと思っていた。そして、知らないうちに大法の仕事をするのが修煉だと思った。邪悪は時間をいっぱいに手配して法を勉強する時間を無くさせ、我々を迫害する目的を達成する。同修が法を勉強する時間が少なくなった時は、出来る範囲で邪魔をせず、法を学ぶ時間を与えるようにする。我らが自己のこの認識、あの認識を強調して、自分を重要と見なす時、自己を証明し、もう危険に落ちているのである。

 法を勉強しても法理が悟れなくなり、全てのことを師父がしておられることを我々が認識し、大法の事をしても法を実証することに専念すれば、法理が絶えずヒントを与えてくれる。 大法の事をする時は、必ず基点を正しく置かなければならない。

 修煉の過程で我々は、法を学ぶ時は法を学び、発正念の時は発正念を行うようにしっかりしておけば、もっと効果よく真相を伝えることができ、平穏に最後の道を歩み終えることができる。特に朝、法を勉強するよう同修に勧める。

 2006年11月1日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/10/29/141160.html