張連英さんが北京強制労働教養派遣所で受けた迫害
(明慧日本)2006年2月、北京朝陽区の法輪功学習者・張連英さんは北京強制労働教養派遣所第十大隊にて8人の監視役の受刑者に殴られ、迫害を受けた。「法輪大法はすばらしい」と叫び、また労働教養所の服を着ることを拒否したためである。2月27日、張連英さんは病院に送られ、50日間入院した。この傷は、連続して何度も殴られてできたものである。2006年の春節後には酷く殴られて、特に病院に入院する前の2日間はとても酷く殴られ、張さんの顔全体は黒色になった。しかし、監視役の受刑者は彼女の顔は黒人のようだと侮辱する言葉を言った。当時、張連英さんの足底は尖ったもので刺されて黒い孔ができ、腰は動けなくなり、寝返りを打つこともできず、左脚は腫れてとても太くなっていた。入院期間中も依然として派遣所の隊長と受刑者が同じ病室に泊まり、監視していた。
張連英さんが殴られたことは、第十大隊の隊長は知っていることである。特に殴られていた間、張さんは第十大隊の副隊長・程遠徴に報告したこともある。しかし、程遠徴は殴打を制止させるのではなく、却って張さんは規律を違反したとでたらめを言った。実は、監視役の受刑者は隊長の指図と扇動の下で行ったのである。数人の受刑者は何度も張さんに、隊長が彼女達に春節後にまた張連英さんを殴るように言ったとさえ告げていた。2人の受刑者は人を殴りたくなかったため、監視役の受刑者・姚暁晴に罵られて何度も泣いたことがある。また一部の受刑者は張さんを殴った後、殴りたくない、申し訳ない、しかしこの環境で、自分自身を保護しなければならない、と言った。言外の意味は、もし彼女が脅迫されても悪事を働かないなら、不運が自分の身に落ちるということだった。
明らかに、数人の受刑者は邪党の悪辣な警官に強いられて人を殴っていた。まったく殴りたくない受刑者は、殴る前と殴った後に苦しくて、何度も泣いていた。しかし、団河検察院はこの件について調査する時、繰り返し「この類のことは、殴った人が責任を負うべきだ」と強調した。これは明らかに強制労働教養所の警官による裏での指図、汚職などの罪を免れようとしているのであり、法律執行者が法を犯した犯罪事実をかばって覆い隠しているのである。
2005年10月、張連英さんは派遣所第九大隊にいる時、ひどく殴られたことがあった(明慧ネット掲載の当時の報道を参照)。当時、張さんは殴った受刑者を起訴したが、派遣所と北京労働局、検察院などの部門に無視され、受刑者と指図をした者は未だに法によって裁かれてない。
2005年6月14日、張連英さんは自宅で生後間もない娘の面倒を見ていた時、香河園派出所所長・王睛を始めとする10数人の警官が不法に張さんの自宅に侵入し、張さんを連行した。6月30日には再び不法に2年6カ月の労働教養を言い渡された。彼女の夫、牛進平さんは幼い娘を連れて、至る所で無実を訴えたが、逆に中共悪党の国安、公安、610オフィス、街道事務室などに絶え間なく脅迫を受けた。
2006年11月1日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/10/30/141332.html)
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