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劉学明さんは四川自貢監獄、五馬坪監獄で迫害され危篤

(明慧日本)四川省成都市新津県普興鎮の法輪功学習者・劉学明さんは、 2002年9月新津公安局一課、普興派出所、普興鎮の悪党政府の役人によって連行され、03年6月5日新津県悪党法廷によって7年の実刑判決を受け、2003年7月24日に四川省自貢監獄に送られて迫害を受けた。元々健康だった劉さんの体は迫害によって衰弱し、現在、押在楽山五馬坪監獄第二医院に送られ監禁されている。

 劉学明さんと妻、そして娘は成都市新津県普興鎮騎龍村(原凰村)に在住し、農作で生計を立て、一家三人は皆法輪功を修煉しているため、迫害に遭った。7年間に10回家財を差し押さえられ、妻子と娘はしかたなく路頭に迷い、畑仕事で貯めた全ての財産が奪われ、金になるものは皆警察と政府の悪人に奪われて転売され、金にならないものは壊され、ベッド上の蚊帳でさえ悪人に切り裂かれた。最後に、彼らが捨て去ったものも泥棒に皆持っていかれた。

 劉学明さんは自貢監獄に送られてすぐ、監獄の主管・楊建春は時々いわゆる「心を打ち明ける」という名目で彼を呼び、劉学明さんの家庭事情を詳細に聞き、如何にも 「関心」があるような様子を見せた。楊建春は親切ごかしに劉学明さんが自貢監獄に入れられる前に当地で受けた不公平な冤罪に同情を示し、劉学明さんが監獄に入れられる前に受けた迫害の詳細を書かせ、監獄の名義で当地政府宛手紙を送り異議を申し立て、実証し、後に司法経路を通じ解決すると騙した。

 劉学明さんは2000年6月に外で煉功した為に新津県五津派出所に逮捕され、新津県普興派出所、普興政府の役人は劉学明さん一家が普興鎮派出所に拘置されたのを機に、彼の家財を差し押さえ、家中にある金になるものを全て奪った状況を書面に書き出し、監獄に渡した。しかし、監獄は全く解决してくれず、事実として自貢監獄の警察は口頭で法輪功学習者が受けた迫害に対し解决を手助けすると言っているのは偽りで、誘導騙しが真の狙いである。

 洗脳の目的に達しないため、劉学明さんに対して続けて拷問による転向を強いた。2005 年4月から、毎日午前8時以降、悪らつな警官・肖権文(教育課主任)、楊建春ら6人の警官がオフィスに来ては、劉学明さんに対し包囲攻撃し、殴打、転向の強制を昼12時まで行い、午後2時にまた開始した。毎日恐喝し、11日後の4月19日に悪らつな警官・肖権文は劉学明さんに対し、今日から劉学明に対する迫害を開始すると言って電撃棒をもって劉学明さんを迫害した。

 4月19日から、悪らつな警官は強制的に劉学明さんに食事の後、罰として直立不動で立たせ、昼食と夕食でさえ椅子に座らせず、夜9時半以降になってやっと牢屋に返し、同時に思想報告も書かせた。夜10時以降やっと寝る事が許されるのである。こうして毎日直立不動で立たされ、劉学明さんの両足は腫れ、 5月8日まで続いた。さらには精神の迫害に移り「受刑者に道徳教育を学ばせ」、同時に思想報告を書かせた。劉学明さんに対する思想報告の強制は2005年7月13日まで続き、劉学明さんは自貢監獄第四監視区に移された。

 第四監視区の警官は劉建興といい、劉学明さんを新しい受刑者と一緒にして毎日 「訓練」した。2005年8月初め、教育課副課長・安泉はまた劉学明さんに対する洗脳転向を開始した。電撃棒で劉学明さんを迫害し、更には警官・肖権文に劉学明さんに手錠をかけて厳管隊に送らせ、彼を縛り付けた。

 劉学明さんは刑罰を加えるベッドに縛られたその晩、大雨が降り続き、あちこち雨漏れし、雨水が布団とベッドを濡らしつくした。劉学明さんに刑罰を加えるベッドで26日間苦痛を与え、8月中は洗顔、入浴をさせず、ずっと劉学明さんの胃腸機能がおかしくなるまで続け、食べたものを吐き出し、体重が20㎏も減ってからやっとベッドから下ろした。

 劉学明さんは2005年12月に自貢監獄から四川楽山沐川県五馬坪監獄に送られたが、身体はすでに迫害によって弱まって危篤になり、現在は監獄の第二医院で監禁されている。

 2006年11月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/16/137939.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/9/21/78225.html