すべてが私たちを注目している
文/大陸山西省大法弟子
(明慧日本)私は天目が開きながら修煉している。修煉の中で、よく他の空間の光景を見て、同修と交流する時、同修たちにも伝えている。4年前、ある同修に書いてほしいと言われたが、その時自分は文章を書くのが苦手で、文章をどうやって書き始め、最後に何を書けばいいかもわからないと思い、自分の観念に障害されて、ついに書かなかった。
今年4月、もう一人の同修に書いてほしいと言われ、今度こそ書きたいと思った。しかしすぐに邪魔もきた。会社では夜に残業があったり、どんな事をしてもスムーズに行かず、上司にたいして怒ったり、家の仕事もわけもなく多くなり体がとても疲れた。「まあ、暫く置いておこう」と思っているうちに、あっという間に2カ月が経った。
先週同修との交流の中で、この何年かの体験と悟りを書くべきだと言われて、あの中途半端な文章を思い出した。月曜日、出勤してすぐにこの文章の初めを書き、最後に「今回必ず完成させる」と書いた。この一念を発した後、奇跡が起こった。頭の中にどう書くかという観念がなくなり、仕事も順調で、夫と子供も私に面倒をかけず、お昼と夜の時間を利用するだけで、一日半でこの文章の初稿を書き終えた。
この事を通して、私が深く認識したのは正念が強ければ、何もかも私たちを邪魔できないのだ。
一、私が見た他の空間の生命
師父はかつて、他の空間ではいかなる物質にもすべて命があると説かれたことがある。最初この法を聞いた時、あまり深い理解はなかったが、ある日他の空間の生命が見えた時、やっとあの空間と私達がいるこの空間が対応し、この空間の生物の他の空間における存在形式が初めて分かった。
ある日、家で第2式の功法を煉功していたとき、ちょうど入静できた瞬間、目の前にコウシンバラの花が現れてきた。花がゆっくりと開花して、完全に開花した時、花が7、8人の少女になったのが見えた。彼女たちは天女のような服を着ていた。私達がこの空間でつぼみを見た時、それは女の子達が頭と頭を寄せあい、手を肩に掛けて正座をして一つになっていたのだ。この空間で花が咲いた時、あの空間で女の子達は腰が伸び広がっているのだ。すべてが生き生きとして、とても美しい。
人間はこの空間に生存して、他の空間の真相が見えず、生命存在の真の姿が見えない。故に人間はよく間違いをする。往々にして真相を伝えられた時、かえって迷信だと言い返して、現在の人が働かない悪事はなく、私欲のため、むやみに乱伐し、まさにそれらも生き生きとした命であることも知らないのだ!
二、師父の法身と護法神
2001年7月のある日、とても暑くて、家は蒸籠みたいに蒸し暑くて、晩ご飯を食べた後、夫と子供は私に涼みに行こうと誘ったが、私はまだ煉功してないから気になって、行かないと断った。彼らが行った後、音楽を流し、動功を始めた。私が目を閉じた瞬間、師父が目の前に立たれ、ほほえみながら私を見ておられるのが見えた。その時はとてもうれしく、必ずよく修煉して、決して師父の期待に背かないと思った。慈悲と感謝の気持ちで、私は静かに4式の功法をやり終えた。
その後の日々、私がしっかりとできた時には、いつも師父の慈悲のほほえみを見ることができた。よくできない時、師父は黙って私のそばに座り、私が執着を認識でき、自分でそれを修煉によって取り除くのを待っていらっしゃるのだ。
一度夫と雑談して、無意識に私の仕事のことに言及して、私は胸いっぱいのつらい思い、怒りと不公平が湧いてきて、涙がぼろぼろ落ちた。私が手で涙を拭いた時、師父が見えた。師父は黄色の服を身につけ、目をすこし閉じて、私のそばで座禅をしておられ、私を一度も見られなかった。私はすぐに分かった、私が間違っていた。
どうして泣くのか、これは強烈な執着ではないか? 恩に執着し、自分のメンツに執着し、常人の自分に対する見方に執着する、これらは修煉者のあるべき行為だろうか。師父は、「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」と説かれた。認識できた後、それらのつらい思い、不公平、怒りがさっとなくなり、体も楽になり、涙も出なくなった。
師父は説法の中ですべての大法弟子の身の回りに護法神がいると講じられたことがある。一度煉功をする時に、護法神を見たことがある。4人の金甲の仙人が、鎧を着て、私の知らない兵器を持って、誰も身長が2、3丈以上、威風堂々として、横一列に並んで私の左側に立っていた。最初彼らを見た時まだはっきりどういうことかが分からなかったが、その後煉功する度に、よくこのような神が見えたので、やっと分かった。師父が按排してくださった護法神なのだ。釈迦牟尼佛は当時彼の弟子たちに天竜八部の護法を按排した。今日慈悲の師父は大法弟子に神兵神将の護法を按排してくださった。これはどれほどの誇りでしょう!私達は本当に全宇宙の最も幸せな生命である。本当によく自分を修煉すべきで、自分の先史の大願を叶えて、師父に従って家に帰るのです。
三、佛、道、神の大法弟子への関心
他の空間で、佛、道、神達はすべてたいへん大法弟子に関心を持っている。ある日、私はベッドの上に座って師父の説法を聞きながら、一方でセーターを編んでいた(実はこうしてはいけない)。一面を聞き終わった途端、頭をあげると、菩薩が見えた。菩薩は私の前に座って、全身が真っ白い紗のスカートを着て、とても若くて、16、7歳の様子だった。彼女はそばの神と話し合っていて、そして下を見て、手も下界を指した。
菩薩以外、佛もとても大法弟子の修煉情況に関心を持っている。私は初めて煉功点へ行った時、すでに弥勒佛が見えた。彼は相変わらず大きい腹のままほほえんでいて、全身が金色に輝いて、扇子を揺らしながら、にこにこして私が煉功をしているのを見ていた。その時心の中で「私は絶対にあなたに妨害をされないよ」と思った。こう思えば思うほど弥勒佛はもっと笑っていて、そして絶えずうなずいていた。もちろん私の知らないほかの佛たちもいて、彼らもいつも大法弟子の近くにいて、みんな煉功しているのを見ている。
一度煉功をしている時、一人の佛が見え、私は彼の頭しか見えず、最初一つの青色がとても眩しく感じて、それから一つ一つの巻き髷が見えた(後の学法を通じてあれが巻いた髷であることが分かった)。続いて一人の男性の顔が現れて、長方形の顔で、皮膚は細くて白く、汗の毛穴が見えず、長いひげがなく、彼は私が煉功しているのをじっと見ていた。当時は驚いて、心の中で私は李先生の弟子で、「いかなる佛(ほとけ)、いかなる道(どう)、いかなる神、いかなる魔に対しても、心が動じることがなければ、必ず成功するに違いありません」(『転法輪』)を思い出した。彼は暫く呆然として私を見てから、緩やかに消えていった。
当時これらのことを見た時、深く考えず、ただ嬉しく思って、同修に伝えた。今日書き出して、やっと深く理解して、他の空間の高級生命は大法弟子を大変うらやましがると同時に、彼らは大法弟子の一言一挙に対して非常にけちをつけるのだ。もしあなたが法を学ぶ時法の中に入り込まなければ、他の空間の菩薩も「見て、下界の修煉者はどのように法を学んでいるの」と指摘するのだ。佛はなお更、あなたのそばに立って、あなたが妨害を受けるかどうか、師父が講じられた不二法門の法を思い出せるかどうかを見ているのだ。大法弟子が成就できる果位は非常に高いので、要求もとても厳格なのだ。
四、発正念の時見えた他の空間
過去しばらく間、私達地域の大法弟子は24時間高い密度で大悪魔に対して発正念を続けた。一度あの大悪魔が私の空間に現れて、彼のカエルのような大きい口が絶えず悪徳な嘘を撒いた。徹底的にこの悪魔を取り除こうと思って、正法口訣を念じ終えた瞬間、私の体から無数の雪みたいな円形のものが飛びだして、悪魔の体に落ち、悪魔があっと言う間に髑髏になって、「がちゃん」と地面に落ちて遺骨になって散らばった。
またある日発正念をして、正法口訣を念じ終えると、私が巨大な佛になって空中に座っているのが見えて、多くの和尚のような人が私の足もとから一列一列歩いて行って、一面雲で覆われている空間に座り、彼らもみんな私と同じように掌を立てている。この時天の端が暗くなって、黒い雲が逆巻き、黒山のように私に向って湧いてきた。これは邪悪が来たと分かって、自分の功能を発してそれらと戦い始めた。横に他の神も戦闘に参加して、一陣の稲妻と雷鳴、暴風雨のあと(あの場面をどういうふうに形容するかは分からない)、空が清らかになって、青い空、白い雲、亭と楼閣がはっきりするようになり、めでたい光景に恵まれた。人々は山の斜面や平原に殺到して、喜んで躍り上がって、共に勝利を祝った。また多くの生命が助けられたことが分かった。
発正念をする度、他の空間ではすべて驚天動地の戦いである。大法弟子の次元の高まりに従い、功能がますます強くなり、大法弟子が発した功能は、あるものは原子爆弾のように爆発して、巨大なエネルギーはきのこの雲のように、急速にとても広い所をきれいに一掃するのだ。
五、私が見た旧勢力
2003年、私は再び会社に戻って、会社の同僚達に真相を伝え始めた。しばらくの間、三つの事はとても順調にできた。一人の同僚は真相と「三退」のことを聞いて、一家三人とも三退声明を発表して、しかもこの同僚はさらに『転法輪』を学びたいと言い、五式の功法を学んだ。
ある日の夜、私は突然一つの夢を見た。夢の中で私の家に多くの人がいて、中にその同僚もいて、みんなが三々五々立って話をしていた。突然ある人が私に先生が来られたと叫んだ。私が後ろを向くとちょうど師父が私の家の中へ歩んでこられたのが見えた。入り口の人々はすべて師父を囲みに行った。(あの同僚もいた)。師父は一人一人に一つの法輪を与え、あの同僚にも与えられた。私は走っていって、師父の前にひざまずいて、泣きながら、額ずいて、涙が抑えられず流れた。
私は頭を上げて、師父を見て、泣きながら「師父、山西の弟子は師父を懐かしんでいます」と言った。師父は慈悲深く優しく私を見て、私を支えて、遠方を見渡して「山西の弟子はよくやりました」とおっしゃった。師父の話を聞いて、私は更に感無量になった。この時、私は周辺にたくさんの旧勢力が見えた。彼らは見下げた目で私を見ながら言った、「よく言えるね、あなたは真にあなたの師父を懐かしんでいるのか」。この時私がふだん法を勉強するとき心が静かにならず、大法の本をむやみに置いたり、ベッドの上に横になりながら本を読んだり、危難に出会う時まず師父を思いだすのではなく、常に常人の方法で解決した。あの瞬間、師父への不敬が見えて、恥ずかしくていられなかった。(常人が悪い事をするとき、誰にも知られないと思っても、実は他の空間ではすべてが透明であって、誰もが知っていて、時間になったら映画みたいにあなたの頭の中にもう一回演じてあげるのだ。常人の言葉で言うと、それは証拠が確実であるということだ)。自分がよくできていないから、あそこにいる資格がないと感じた。
それで私はすぐに夢から目を覚まして、心中はとてもつらく、たいへん後悔していた。ふだんの修煉が着実にできず、小さいことにも師父と法への尊敬がないことを後悔した。一つの生命が本当に後悔することを知った時、それは本当に心をえぐるかのような後悔なのだ!
次元の限りで、同修のご指摘をお願いします。
2006年11月8日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/29/138883.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/10/15/78980.html)
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