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新彊の法輪功学習者・牛夢玲さんの迫害による死亡状況の補足

(明慧日本)2004年11月26日、新彊石河子市の法輪功学習者・牛夢玲さんは自宅で国保分隊の警官に迫害され死亡した。事後、警官らは牛さんが飛び降り自殺したとでたらめを言い、家族に嘘の証言を強要し、牛さんの死亡事実を隠蔽した。以下は牛さんが迫害され死亡した真実の経緯である。

 牛夢玲さん(33歳女性)、生前は新彊石河子市東熱電工場の従業員だった。大法のために北京へ直訴したため、悪らつな警官に連れ戻されてから、新彊ウラボ女子強制労働教養所に連行され、2年間の強制労働の刑に強いられた。その後、さらに不法に9ヶ月間の刑を延長され、東熱電工場に解雇されたという。

 牛さんは強制労働教養所から解放されてからそのまま、洗脳班へ連行された。牛さんはその後、迫害を逃れるために一度家を離れ、落ち着く場所がなくなった。2004年1月、牛さんは再び拘置所へ強制連行され、迫害を受けた。胃の大量出血のために自宅へ戻された。

 2004年11月26日昼、610オフィスの悪らつな警官らは娘を学校から連れて帰って来た牛さんを自宅に閉じ込め、不法に家宅捜査を行った。ちょうどその時間帯に、他の学習者が牛さんの自宅を訪問することになっており、牛さんはその学習者の身の安全を考慮し、電話で訪問中止の連絡を取ろうと、警官らに子供を義弟に預ける理由で、6階の義弟宅へ駆け出した。しかし、後ろから追いかけてきた悪らつな警官・曹存東が大声で恐喝しながら6階のドアを蹴り開けて侵入してきた。牛さんは電話を掛ける時間がなかったため、学習者は必ずベランダの下を通過することを思い出して、ベランダから注意を呼びかけようとして、キッチン側のベランダへ走り出した(訪問する予定の学習者はその後、無事に帰宅した)。

 当時、キッチンには牛さんと悪らつな警官の曹しかいなかった。目撃者によると、牛さんは6階のキッチンの窓から落ちて、口と鼻から出血し、意識不明になったという。牛さんは後石河子市人民医院へ送られ、救急救命措置を施されたが、帰らぬ人となった。

 当日の夜、悪らつな警官の曹と中隊隊長の宋理は、牛さんの義弟を公安局へ連行し、牛さんは飛び降り自殺であるという証明書に署名をしなければ監禁すると恐喝し、署名を強要した。牛さんの義弟はなす術がなく署名したという。当時「610オフィス」のトップ程克強は牛さんの両親に対して、遺体解剖後に直ちに火葬するようにあらゆる手で証拠隠滅のために騙したり、脅迫したりした。牛さんの家族は当時警察の言いなりにしたことは、今でも悔しくてたまらないという。

 悪らつな警官らは事後に、警察は脱獄した牛さんの夫・呉生民さん(法輪功学習者)を逮捕した際、牛さんが耐えられなくなり、飛び降りたと噂を流したという。しかし、牛さんは冬を越すための準備も自宅で保育園の経営の用意もできているのに、自殺する理由はどこにあるのか? 人間性を失った悪らつな警官らの恥知らずはこのことで分かるのだ。

 東熱電工場の従業員たちは、牛さんの夫は法輪大法の修煉を堅持し、2004年1月に石河子公安局国安分隊に強制連行され、8年の刑を言い渡されてから、石河子市北野刑務所に監禁され迫害されており、一度も家に帰っていないことは周知である。悪らつな警官らは牛さんが危篤に陥った際、急いで夫の呉さんを両手両足に手錠と足かせで固定させ、牛さんのところに連れてきただけであるのだ。呉さんは未だに石河子刑務所に監禁されているという。

 2006年11月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/11/16/142534.html