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発正念する前にあるべき正念


 文/ハルビンの法輪功学習者

(明慧日本)ある日、発正念をした後、まだたくさんの同修が不法に監禁されて迫害されているのに、自分はまだ時々怠けたり、精進しなかったりしている事を思い出して、胸が非常に痛くなり、また恥ずかしく思いました。そして、どのようにしたら、もっと有効的に同修を助けることができるだろうかと思った時、突然頭の中に『洪吟(二)』の「正念法力妖穴を搗く」と言う言葉が浮かびました。

 師父のこの言葉は私に一つの事を悟らせました。私たちは、一斉に発正念をして、大法弟子を監禁し、迫害しているあらゆる邪悪の巣窟を搗き続けて、同修が法を正し、衆生を救い済度する大きな流れの中に戻るようにしなければならない、ということです。

 以前私は「妖穴」は邪悪の頭がいる所だと思いました。今私は、大法弟子を監禁し、迫害しているあらゆるところ、留置場、強制労働教養所、刑務所などはすべて「妖穴」だと思っています。あれらの所の他の空間には常人には見えない邪霊、卑しい鬼と黒い手がたくさんあります。そしたら、われわれは強大な一体を形成して、妖穴を搗きやぶるべきです。

 今、私たちが妖穴を徹底的に搗き破ることができない主な原因は、発正念をする前の私たちの認識と考え方が正念ではないからです。例えば:

 一、長い間、発正念を続けることができないことです。しばしば知らせをもらった後、何日か発正念をしてはまた怠けます。精進していないから、効果がないと思うから、などなどこれらは正念ではないのです。正念とは同修のことは自分のことでもある、だから最後まで続けなければならないと言うことです。刑務所から出てきた同修の話によれば、私たちが集中して発正念する時、一部の悪人や邪悪な警官らは体に異変が起き、迫害が大いに軽くなったので、私達に続けてほしいということでした。

   二、一部の人は同修が捕えられたのは同修自身に抜け穴があるからであり、私たちが発正念をしても同修自身が努力しなければ効果がないか、あるいはとても良い効果を得られないと認識しているからです。これは正念ではないのです。なぜかと言うと、深いところからこの言葉を見ると、このような考え方は旧勢力の迫害を認めているからである。正念とは、どんな理由があっても、私たちの同修は監禁されてはならないし、さらに迫害されてはならないということです。旧勢力には私たちを試す資格はないのです。彼らは存在してはいけないものです。どうして彼らの迫害を受けなければならないのでしょう? 私たちは師父を助けて法を正し、衆生を救い済度するためにこの世に来たのです。

 三、迫害を暴露し、真相を伝える力が足りない。真相を伝えることこそ、邪悪を解体することであり、正念です。もし私たちが発正念する前のいくつかの認識や考え方に気をつけて、正しくない認識を正し、私たちの正念を強くさせ、さらに発正念をしたら、私たちはきっと妖穴を搗いて、同修らが法を広め、衆生を救い済度する大きい流れの中に戻れるように助けることができます。それは、師父は私たちに「大法の衆徒真相を講ずれば、正念法力妖穴を搗く」『洪吟(二)』と教えてくださったからです。

 以上は個人のわずかな認識であり、同修の慈悲なるご叱正を願います。

 2006年11月24日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/11/7/141765.html