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大法から生まれた正しい神の光を輝かせよう(四)


 文/北アメリカの大法弟子

(明慧日本)二つ目の話題に入るが、長い間、私は自分が師父の周りで仕事をすることができて、潜在意識で自分は非常に偉いと考えるようになった。時々ある種の優越感を持っていた。あるとき私は座禅する際、たくさんの非常にえらい王と主たちを見た。これらの王は人間界に来る前は考えられないほど非常に高く、しかも王たちは各次元を降りていく過程で、常に師父と大法に対して動揺しなかった。そして人間界に入る前に、旧勢力は契約を結ばなければ人間界で法を得る機会を与えないとして、契約することを強要した。異なる次元には異なる次元の迷いがある。これらの王たちはいろいろな迷いの中で正念を固め、この「真善忍」から逸脱した宇宙の中で、いろいろな残酷な試練を受けてきた。それは誰もが乗り越えるものではなかった。これらの王と主たちは旧勢力の強要の中で決して妥協せず、決して旧勢力と契約を結ばなかった。あの偉大さは全宇宙を震撼させていた。その光景を見て私は涙を流した。今日、かつての王と主たちはみな中国に集まっている。なぜなら彼らは決して非常に危険な環境の中で大法を実証し、衆生を救い済度することを恐れなかったからだ。しかも彼らが人間界に入る前までの過程の中で形成した威徳が、彼らが中国大陸のきわめて過酷な環境の中で衆生を救い済度するのに確固した基礎を固めていたのだ。

 座禅を終えてからも、私の涙は止まらなかった。私は、それらの偉大な王と主たちが大法弟子になる過程の偉大さに感動し、そして自分の持っていた自慢した考えをあまりにも恥ずかしく思ったからだ。中国大陸の真の大法弟子は本当に素晴らしい。なぜならいろいろな困難を前にして、彼らは本当に大法弟子のすべきすべてのことをすることができ、そして大法弟子として衆生を救い済度していたからだ。それと比べて、海外の大法弟子はまだ大きな不足があると思われる。 

 師父は慈悲深く、常に海外の大法弟子を励まし、我々がよく実行できることを願っていた。だが我々がもしすべての思いを法を正すことに集中できず、妄念が生じてしまえば、それは大きな障碍になるのだ。

 将来において、全宇宙は必ず、真に最も素晴らしく、そして最も偉大なる生命とは、それらの最も危険で苦しい環境の中でもなお、決して動揺せずに大法を実証する大法弟子の主体、すなわち中国大陸の大法弟子たちであることを忘れないだろう。ここでは海外の大法弟子が中国の大法弟子に及ばないことを言っているのではないが、それらの栄光は確かに中国の大法弟子に与えるべきであり、これは宇宙中の誰もが認める事実である。

 三つ目の話題に入るが、それは、法を正す過程の中で、すべての要素にぶつかることになる。修煉にも必ず反応が起こされる。いかなる反応だろうと、必ず正しい態度で積極的に対処し、大法を修煉すべきである。

 ある時、私は法を実証する中で旧勢力の要素に触れたため、旧勢力は常人社会で私にたくさんの妨害を作り出した。人間世界での表れとしては、家庭の中で、社会で、ひいては同修の間に起きたたくさんの問題である。そのため私は大変苦しくなり、すべてのことが私の修煉する信念を動かそうとしていた。私がやっとの思いでこれらの問題を片付け、疲れ果てて机上に伏したとき、それらの妨害はすべて旧勢力の要素によるものであり、決して認めてはならないと思いながらも、非常に疲れていた。ちょうどこのとき、私は自分がある暖かい懐に抱かれているのを感じた。師父の法身が私を軽く撫で、まるで母が子を労わっているかのように、師父の顔には慈愛に満ち溢れていた。これは師父が弟子に、必ず正念をもって正しく行うよう励ましているのだと私は悟った。

 またある時、私はあるプロジェクトの中で多大な不満を感じ、数日間非常に悲しくなり、元気を出すこともできなかった。その後夢の中で、遠いところから非常に悠長で美しい簫の笛の音が聞こえてきた。一瞬にして私の命に正念と力を与えてくれた。その音の先を見ると、高いところに座っていた師父は軽く簫の笛を吹いておられたのだ。慈愛と期待に満ちる音だった。夢から醒めた私は泣き出した。師父は決して一刻も弟子から離れることなく弟子を見守っているのだ。

 またあるとき、法を実証する活動の中で、私は他の同修といつも異なる考えをもっていた。私は他の同修と言い争ったりしていないが、なぜかたくさんの批判の矢先が私に向くようになった。その瞬間から、活動する同修のすべてが異様な目線で私を見ていた。それ以来の活動になると、私は自分が冷遇されることに気づいた。苦しい思いの中で私は何も言わなかった。落ち着いて内に探せば、自分には法に対する理解に間違いがなかったことが確認できた。そして活動するとき、私は黙々と同修と協調していた。その後の座禅の中で、私は師父がとてつもなく巨大な両手で、私を軽く抱えていたのが見えた。高く挙げて、私を常に見守っていたのだ。

 師父は大法弟子に、師父は私たち以上に私たちを大切にしているのだとおっしゃっていた。実はどんなとき、どんな環境だろうと、ただ師父と法を堅く信じ、法を正す修煉の態度で正しく行えば、必ず道は開けてくるのだ。

 (続く)

 2006年11月26日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/11/23/143062.html