劉建中と趙家福は法輪功学習者の曹宝玉さんを迫害し死亡させた元凶である
(明慧日本)2006年2月18日早朝7時、廊坊市広陽分局国保大隊隊長の高成剛や北旺郷派出所の所長など悪人6人が曹宝玉さんの家に押し入り、聞きたいことがあるからちょっときてくれ、すぐにもどすからといって曹宝玉さんを強制的に連行し、洗脳班に入れて迫害し始めました。
その日、曹宝玉さんの妻はその後、北旺郷派出所に夫を探しに行きました。所長は、彼は広陽公安局のところにいるといい、彼女が公安局に聞くと、彼は国保大隊にいるといわれ、大隊に聞くと、凶悪な警察は彼の居場所を教えませんでした。不法な人員は秘密裏に曹宝玉さんに洗脳を始めていました。
不法に拘禁されていた間、曹宝玉さんはずっと北旺郷「610」の主任趙金辉と看守らに真相を話し、「善良な人になって、江氏グループの言いなりになって法輪功と法輪功学習者を迫害しないでください。法輪大法の修煉者はみな真善忍をもとによい人に成ろうとしているだけです」と言いました。彼らは聞かないどころか、「曹宝玉さんの中毒がひどくて死んでも転化しようとしない」と言いました。彼らは曹宝玉さんを「華康賓館」と「盛宴楼賓館」に入れて不法に強制的に転化しようとしました。その後、廊坊広陽区検察院と公安局国保大隊は「社会秩序を乱した」との罪名で彼を不法に逮捕し、廊坊留置場に入れてさらに迫害しました。
留置場は曹宝玉さんを極度に虚弱するまで迫害し、廊坊市病院、漢方病院に入れて治療したといいましたが、本当は強制的に灌食し、彼の胃の働きは衰え、胃の粘膜は出血し、粘膜に多くの症状が出ました。このように体が虚弱し、腹も空っぽの状態で、凶悪な警察たちは彼をあちこちかついでいくときにまるで袋みたいにあちこち投げて、人の生死や苦しみなどまったく気にせずに強制的に灌食するときには彼の手足を縛り、何人もの凶悪な警察が彼を押さえつけました。
何度も危篤状態におかされたとき、廊坊市病院、漢方病院(この二つの病院は比較的良い設備と医療スタッフをそろえている)はともに病状がひどくて治療できないといいましたが、広陽区政法委610は彼を釈放しようとせず、彼を強制的に広陽区人民病院(医療施設とスタッフが良くない)に入れていわゆる救命治療をしました。広陽区政法委副主任の劉建中と「610」主任の趙家福の命令の下、病院の医師と看護婦は強制的に灌食し、薬物を乱用して彼の心臓と腎臓の機能を低下させ、彼は血尿や大小便失禁などの症状が現れました。
この2ヶ月間、曹宝玉さんの妻は広陽区国保大隊に彼の行方を聞いてきましたが、国保大隊は彼女を無視し続け、彼の行方を教えませんでした。国保大隊の高成剛は「次来たらお前も洗脳班にいれてやる」といって彼女を脅しました。家族がいろいろな所を探し回ってやっと彼が広陽区病院にいることが分かりました。
彼の妻が病院に彼に会いに行ったとき、医師、看護婦やほかのスタッフらは劉建中と趙家福の命令の下、事実を隠し、あらゆる手段を通して彼女を邪魔し、恐喝し、彼は病院にはいない、ここで邪魔をするなと言いました。
家族が強制的に病棟に押し入ってやっと、極度に虚弱した曹宝玉さんが横たわっているのが見えました。彼は骨と皮が残っているだけで、変わり果てた姿でした。妻は残って彼の面倒を見ると劉建中に申し出ると、拒絶され、治療に影響がでるとの名目で彼女を送り返しました。
彼の家族が次の日に再び人のバリアを突破して彼を見に行ったとき、医師は病状が深刻でいつ危篤状態に陥ってもおかしくないといい、家族は泣いて、彼をどこかもっといい病院に移すことを要求しました。
劉建中は職位を失うことを恐れ、さらには彼らが薬物を乱用して注入したことが暴露されるのを恐れ、家族に帰るよう言いました。家族が心配して再度病院を訪れたとき、「610」主任の趙家福は国保大隊の信平玉などの凶悪な警察数名を連れてきて家族を阻止しました。さらに有無を言わずに曹宝玉さんの妻を捕まえようとしました。ある法輪功学習者の強力な援助のおかげで彼女は捕まりませんでした。
曹宝玉さんの子供と友人らは数回にわたって病院を訪れましたが、劉建中に阻止されて彼に会うことはできませんでした。彼の家族は廊坊市委に彼を釈放するよう要求しましたが、市委は信訪に聞くよういい、信訪は広陽区委に聞くよういい、区委は「610」に探すよういって、みなお互いに責任を他のところに追いやりました。
4月25日11時、曹宝玉さんの妻はどうしようもないくらい焦って再び病院にいきました。彼は迫害されて意識がはっきりせず、聴力が極度に低下して、はっきりと話すことが出来ず、さらには体や手に大便がついていました。
家族が劉建中に彼の病状を聞くと、「610」の趙家福は国保大隊の信平玉に命じて曹宝玉さんの妻を不法に捕らえさせました。子供や身内の人には一切連絡せず、家族は彼女を探して回りました。洗脳班に入れられ、曹宝玉さんの妻は夫が心配で精神的に圧力が大きすぎて飲まず食わずの状態になりました。それでも洗脳班の劉淑香と郭玲は毎日強制洗脳し、彼女の体は非常に虚弱になりました。
4月27日午前、病院から曹宝玉さんが危篤だという情報を得た彼の息子は病院に駆けつけて父親に合おうとしましたが、劉建中や趙家福らの悪人に阻まれ、病院の外で長い間待たされ、結局父親の最後を看取ってやることができませんでした。
4月28日午前10時過ぎ、村の幹部はあわてて曹宝玉さんの息子および身内に盛宴楼宾馆(洗脳班があるところ)の四階の会議室まで来るよう連絡しました。会議室の周辺は厳しく警備されていました。広陽区検察院、公安局は家族に曹宝玉さんの逮捕の原因と4月25日の法廷での状況(当時家族には知らされなかった)、および4月27日の死亡報告を家族に読み上げましたが、書類を見せることはありませんでした。家族が遺体を家に持ち帰ることを要求すると、広陽区検察院、公安局は上層の規定で(詳しくは説明しなかった)遺体は持ち帰れないばかりでなく、当日に解剖し、次の日の午前に火葬し、灰も家には持ち帰れないといいました。
曹宝玉さんの妻は4月28日午前まだ洗脳班で精神的に迫害を受けていました。北旺郷政法委の趙金辉は事実を隠し、4月28日午前11時過ぎになってやっと彼女を家に送り返しました。北旺郷の悪人は曹宝玉さんの家族を全面的に監視し、数人がかりで家の門を見張り、ほかの人に門をくぐらせませんでした。家に入ろうとすると写真を取られ、監視されました。親戚は曹宝玉さんが迫害されて死亡したことを知り、彼の家に突入して彼の妻にそのことを伝えました。彼の妻が親戚や友人に連絡を取ろうとすると、北旺郷政法委の人員は電話を操作して連絡を取らせませんでした。
5月1日午前、曹宝玉さんの遺体は広陽区のいくつかの部門の悪人たちの監視下で火葬されました。火葬後の骨は浅い緑色でした。火葬の人は、「こんな色の骨はいままで見たことがない。どんな薬を使ったのだろうか。たくさん使ったにちがいない」といいました。
広陽区区委の劉建中、広陽区「610」の趙家福、そして彼らの命令のもとで動いた広陽区人民病院の医療スタッフたちの強制灌食、大量の薬物の使用などにより、曹宝玉さんは迫害の末死亡しました。
2006年11月26日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/8/14/135515.html)
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