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大法から生まれた正しい神の光を輝かせよう(五)


 文/北アメリカの大法弟子

(明慧日本)四つ目の話題に入るが、たくさんの同修の修煉体験の交流の中で、非常に強い観念があることに気づいた。もし個人の修煉時期ならまだそれほど問題にならないが、法を正す修煉においては、この観念は大きな障碍になっている。

 大法の修煉は歴史上のすべての修煉とは形式的にも、内包から見ても、そして認識にしても本質的に異なっている。

 旧勢力はその大法を検査する目的で、歴史上にたくさんのことを按配した。大法弟子の一念ですらこの按配から逃れることができず、旧勢力はいろんな按配をしていた。だがこれらのすべては師父の望んでいたものではなく、それは旧勢力が師父と大法に強制的に押し付けたものである。

 二年前のある日、座禅するとき私はある空間に来た。その空間にはたくさんの水がめが置かれていた。しかもすべての水がめには良くないものが満ちるほど入っていた。これはなんだろうと考えていたとき、数人の悪い神がその水がめの中に何かを入れながら話を交わしていた。なるほど、その水がめに入っているのは、すべて大法弟子のために準備されたものである。師父がこのようなものを阻んでいたため、これらの良くないものは直接師父に向けて押し出されることになった。これを見て怒りだした私は剣(私の法器)を抜き、そして剣をとてつもなく長い棒に変えてからその空間を一掃した。それらの悪い神と水がめを全部取り除いた。

 大法弟子の修煉は師父が按配したものであり、旧勢力とは何の関係もない。一つの生命はその起源を問わず、その主意識が大法を修煉したいと願うならば、つまり自分を師父と大法に託したことになり、その生命のすべての修煉は師父が按配することになる。旧勢力には決定権を有さない。たとえかつて旧勢力と契約を結んだとしても、その生命自身がそれを認めなければ(師父はこれまでに一度も認めたことはなかった)、この生命に対して、旧勢力は管轄権を有さないのである。

 大法弟子が何か良くないことや危険に出くわしたとき、師父によってその難を避けてから、たくさんの同修はいつも師父がその代わりに難を受けているのだと考えている。1999年7.20までの個人の修煉時期に、師父は確かに弟子のためにたくさんの業力をご自身で引き受けていた。だが法を正す修煉が始まってから、師父は大法弟子と一緒に全面的に迫害に反対し、旧勢力のすべての按配を全否定するようにされてきた。それならば、私たち法を正す時期の大法弟子も、観念において、昔の個人修煉のように認識してはならなくなったのだ。

 あなたも「師父が代わりに難を引き受けた」と思い、彼も「師父が代わりに難を引き受けた」と思い、たくさんの大法弟子がこのように思うと、それらの難は本当に師父のところにやってくる。しかし、それらのものはみな旧勢力が大法と大法弟子に強制的に押し付けたものである。

 大法がすべての作り出し、最もミクロな世界からマクロな世界まで、欠けることなくすべてを創出した。ならばどうして旧勢力の試練を必要とするのだろうか? 旧勢力にはこのような資格はない。法を正す中で大法はすべての旧勢力、そして彼らの最も根本的な利益に触れた。師父は旧勢力のその私のための按配を否定したため、旧勢力はこれらのすべての悪い要素を師父と衆生の救い済度を担う大法弟子たちに押し付けてきたのだ。師父が弟子を保護するため、ご自身一人でそれらの悪い要素を遮断された。実は、師父は完全にそれらの悪い要素を旧勢力に弾き返す法力を持っておられた。なぜなら、誰も大法を検査する資格を有しないからだ。だが師父は広大な慈悲を抱き、それらの旧勢力をも済度したかったが、旧勢力が自ら淘汰の道を選んだのだ。

 旧勢力はその間違った理念の下で、「大法弟子を向上させるため」というレッテルの下でいろいろな按配をしてきた。しかもその按配の本当の目的は私のためであり、衆生を救い済度するためではなく、衆生を滅ぼすためであった。我々は決してこのような按配を認めてはならず、特に大法弟子が向上するためのものであることを認めてはならない。大法弟子は迫害に反対し、修煉の中でますます成熟しているのは、決してこのような迫害があったからではなく、そして衆生が救われるかどうかもこの迫害に由来するものではない。それは衆生の大法に対する態度から由来するものである。師父は我々に、このような迫害がなくてもすべてを円満に解決できるとおっしゃっていたのではないか。そうなればすべての衆生が徹底的に救われるのではないか? 旧勢力のいわゆる按配及び「大法弟子を向上させるため」「大法弟子の業を消すため」などの口実は皆、師父が法を正すことや大法弟子が衆生を救い済度することの妨害となっているのだ。

 同修たちよ、自分にあった難が消えたとき、もう師父が肩代わりしたと思わないようにしてください。師父はこの大法を作りだしたので、旧勢力の按配と要素を受けることは決してないのだ。真に難を受けるべきのはそれらの大法と大法弟子を迫害する邪悪生命とこの迫害を按配した張本人、すなわち旧勢力であり、私たちの師父と大法弟子ではない。

 実は、このことは大法書籍の文字の修正と同じように、古く、そして変異した不純なものは徹底的に取り除かれ、新しい、そして純正な内包に変わるのだ。

 自分の考えの中にある旧い観念を取り除き、旧勢力の按配した要素に生存空間を与えないようにすることで、初めて根本的に旧勢力及びそのすべてを否定することができ、初めて真に大法と同化し、初めて大法から生まれた正しい神の光を輝かすことができるようになる。 

 2006年11月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/11/23/143062.html