師父が弟子に注がれた愛情
(明慧日本)わたしは師父の講習会に参加したことがありません。でも、チチハル講習会に参加したことのある学習者から偉大なる師父の感動的な話を聞きました。そして、「師の恩を思い返す」という連載の投稿文で一人一人の大法弟子が慈悲なる師父について語ってくれました。師父は法を伝える中で様々な困難に妨げられ、わたしたちのために多くの難を背負ってくださったのは言うまでもありません。ここまで書くとわたしは涙が流れてきて、心から感動を覚え、パソコンの前でどのように考えても言葉に詰まっています。どんな言葉でもこの文章のテーマに相応しがたいと思っています。
師父の広州での説法を収録したテープの最後にこのように言われています。「みなさんは、遥かなところから来ています。外地からの参加者でさえ3000人もいます。もっとも遠いのは黒龍江省、新疆…、道程が非常に長いので随分苦労をかけたりして、費用不足の人もおり、それにカップラーメンやお菓子などしか食べられなかった人もいます」。黒龍江省出身の私は特にこの部分がよく印象に残っています。ある学習者にそれについて話をしたら、その人によれば、師父が言われたのはチチハルの学習者のことで、その人が講習会に参加しに来たときにたくさんのカップラーメンとお菓子を持っていたということです。
あるきっかけでこの当人の学習者にそれを尋ねてみたら、こう教えてくれました。「広州にいたときに野菜を摂れなかったことで唇が荒れて膿むほど酷かったのです。それで、貴州の補導站の站長と話しているうちにこの話をすると、実は站長がこのことを師父に話し、師父は涙を流されたと教えてくれました」。しかも、師父は説法の最後に、上記の話を引用してくださったのです。これに対して、わたしの涙はぼろぼろと落ちてきました。「師の恩を思い返す」でわたしたちも知っている通り、師父は法を伝え始められた当時、大変苦労をしてこられたので、各地に出かけてもそのときの食事はほとんどカップラーメンしかなかったため、随員のみなさんは「カップラーメン」と聞くだけで気持ちが悪くなる人もいました。しかし、師父はこのような苦労話を皆さんに言われたことがなかったどころか、むしろ弟子たちが法を聞きにくるために、カップラーメンやお菓子しか食べてないとお聞きになると、涙を流してくださいました。どんな言葉を使えば、師父の弟子に対する愛情と救い済度の恩を表せるものでしょうか?
当時の学習者はこの体験談を発表しているかどうかがわかりませんが、ほかの地方に行ったこの学習者に掲載についての意見を聞いていないものの、以上のことを述べました。ほかの学習者の「師の恩を思い返す」が次々と発表されていたので、自分も世に知らせる責任があると思いました。学習者よ、わたしが思うには、わたしたちが本当に精進しなければ、師父に申し訳ないことになるのです。
2006年12月4日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/11/28/143437.html)
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