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チチハル市の法輪功学習者・張雲芝さんが迫害で死亡した経緯

(日本明慧)張雲芝さん(51)は、黒龍江省チチハル市碾子山の法輪功学習者で、1998年10月に法輪功を学び始めた。1999年に法輪功が迫害されて以来、彼女は大法を修煉し続け、法を実証することを積極的に行い、北京にも陳情しに行ったことがあった。2000年から現在まで、五回も連行され、残酷な迫害に遭った。そのうち四回は碾子山に移送され、迫害されたが、いずれも正念で脱出することに成功した。しかし、五回目の連行のとき、想像を絶するほどの迫害に遭い、全身が浮腫んでしまい、足から組織液が滴り、内臓がひどく損傷したため、亡くなった。

 2006年3月31日朝7時30分、碾子山の100人以上の警官は突然、4人の法輪功学習者の家に押しかけて、6、7人の学習者を強制連行した。うちの2人の学習者は正念で脱走した(今も家に戻ることができない)。警官らは法輪功学習者の家からパソコン3台、DVDデッキ2台、ビデオデッキ1台と数冊の法輪功書籍を没収した。連行された法輪功学習者は皆、警官にひどく殴打された。その後、家族らは高額のお金を要求され、やっと釈放された。

 張雲芝さんは警官による重点的な迫害対象者となり、躍進派出所の副所長王洪新の直接指示の下で、警官らは張さんの頭にビニール袋をかぶせた上、彼女をめった打ちにした。残酷な迫害で、張さんは意識不明な状態に陥った。

 気息奄々とした張さんは病院に送られ、知らせを受けた家族がその後駆けつけたが、張さんは手足が痙攣し、口から血が出ており、すでに失禁し、危篤状態に陥っている。医師は彼女の状態を見て、驚いてしまい、手当てを施すこともできないという。心配している家族は、張さんを帰宅させることを警官らに懇願したが、上の許可が必要だと言って、拒否し続けていた。午後2時になって、やっと張さんの帰宅が許可された。

 帰宅した後の張さんはしばらくしてから、やっと意識が回復した。その後、彼女は強靭な意志で、苦痛に耐えていた。その間、何回か血を吐いたり、血尿したりした。お腹が強く張って、食事を取ることができず、横になることもできなかった。最後になって、お腹が驚くほど膨らんできて、頭の大きさが一回り小さくなった。全身痩せ細り、でん部が爛れてしまい、足の肌に細かい穴がたくさんでき、そこから組織液が滴り、昔の張さんの面影はなく、まったく変わり果てていた。

 2006年10月2日午後4時、張さんは息を引き取った。

 2006年12月9日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/12/8/144177.html