日本明慧
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考えの隅々から旧勢力の按排を否定することについて


 文/広東の大法弟子

(明慧日本)旧勢力は私達のすべての考えについて按排したため、もし私達は少しでも注意を怠った時、思いつく良くない考え、あるいはこれまでに私達の経験したことを思い起こすことになれば、それらは皆、旧勢力が私達の脳裏に按排したものである。良くない考えや、すでに過ぎ去った過去のことを思い出した時、もしそれを取り除こうとしなければ、もしこれらの良くない考えに沿って考えていたら、旧勢力はただちにこれらを強め、私達にもっと良くないものを押し込むだろう。なぜなら、取り除かなければ認めることになってしまい、すなわちそれらの旧勢力のものを受け入れることになる。師父は、『転法輪』の「心を正しく持つべし」で「ここは一理あると思っただけで、それが出てきて、あなたの功に加えられます。」とおっしゃいました。

 私もかつて深刻な教訓を経験したことがありました。

 あるとき、私は自分の会社の同僚を見て、「この人と恋してみたらどうなるだろう?」と無意識のうちに不真面目にふと考えてみた。私は普段からその男性について全く興味を抱かなかったが、このように考えたことで、旧勢力の私に押し込んだ考えを認めてしまうことになり、私はその後、本当にこの考えから抜け出せなくなった。私も、これは自分の本意ではないことをよく分かっているが、しかし人間の面では、いつもその男性を思い、その男性のために感情的になっていた。そこで私は何とかして師父に加持してくださるように願ってから、やっとこの良くない考えから抜け出すことができた。しかしたくさんの時間が無駄になった。

 今回の経験を通して、私はさらに、修煉とは厳粛なことであるということを体感することができた。修煉は決して遊びごとではなく、常に正念をもって正しく行わなければならない。良くない考えが出てきたとき、ただちにそれを排除し、その考えが発展するのを放任してはならない。特に、常人が求めている、いわゆる常人社会における憧れはなおさらである。旧勢力は、刻一刻と私達の隙に乗じ、隙を見つけだそうとしている。その目的は、私達の意志を弱め、最終的に私達が修煉できないようにすることが狙いだからだ。

 そのため、平素からよく法を学び、はっきりとした状態で、常に旧勢力の按排を否定し、自分の良くない考えをあるがままに放任させないようにしなければならない。

 修煉において、間違いや失敗を少なくするためには、速く向上しなければならず、師父を心配させないようにしなければならないのだ。

 以上は、私の個人の考えに過ぎず、適切でない所はご指摘をお願いします。

 2006年12月11日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/12/9/144237.html