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煉功についての認識

(明慧日本)最近、よく周りの同修が、よく何日も煉功していないと言うのを耳にするが、これは自分の修煉に対して明確に、「法輪大法(ファルンダーファ)も「性命双修」の功法なので、煉功するのに動作が必要です。」(『転法輪』)と示された。

 初めて煉功場に行った時、第二式の功法を煉っていた際、上にあげていた腕が疲れて震えが止まらなかった。しかし、周りの皆がしっかりやっているのを見て、私も我慢できた。その後、煉功する回数を重ねていくうちに、私も心性が向上し、自然に無理なく全てを煉功することができるようになった。

 1999年7.20から、中共が法輪功を修煉し始め、集団で煉功をする環境がなくなってしまった。それから、私も安逸心が強くなり、煉功しなければしなくなるほど、煉功したくなくなり、その結果、学法するたびに眠くなり、発正念するたびに寝てしまい、状態がますます悪くなっていった。この、見逃すことができない重要な問題に気づいた私は、それ以来毎日煉功することを決心した。

 しばらく煉功を続けると、状態も明らかに改善され、学法する時には頭がはっきりするようになり、発正念をする時にも、手印が崩れることもなくなった。その間も、煉功するかしないかで苦しんでいたが、最終的に正念が安逸心に打ち勝って、煉功することを選んだ。

 ある時、座禅をする中で入定し、自分の体が本当に消えたかのように感じた。ただ自分は座禅をしているという考えしか残っていなかった。大変気持ちよかった。正に、師父が説法の中でおっしゃったような状態であった。その時、私は師父がおっしゃっていたのは全て本当であったことを実感した。この点から見ても、修煉者の悟性を向上させる過程でもあるのだ。

 煉功する過程で、人間の惰性と安逸心を求める心を取り除き、心性を向上させることができる。そういう意味では、煉の中に修もある。

 古代中国には、「聞鶏起舞」という物語がある。今日の修煉者に啓示を与えることができるのではないだろうか。煉功を重視しない同修は、しっかりと内に向けて考えてみるべきである。

 2006年12月20日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/12/3/143738.html