蘇州刑務所:国際調査から逃れるために陳光輝さんを殺害か?
(明慧日本)江蘇省の法輪功学習者・陳光輝さんは2004年7月に蘇州刑務所で殴られ、頭蓋骨粉砕骨折のため植物人間になり、ずっと刑務所の制御の下で、蘇州一零零医院にいたが、2006年12月12日に突然死去した。享年わずか40歳だった。関係者の分析によると、蘇州刑務所は犯罪証拠を覆い隠すため、国際調査組織の調査から逃避するために殺害の手を下したという。
陳光輝さんの家族はずっと陳さんを家に迎えようとしたが、刑務所は決して釈放しなかった。しかも陳さんが生命の危篤になったとき、刑務所の責任者は医院に圧力を掛けて、われわれは、陳の家族でなく法輪功と国外から調査に来ようとする人たちを防ぐ、と言った。
医院の関係者は、陳さんに対する治療方針と治療経費はすべて刑務所の制御を受けていると語った。この2年間、陳さんは家族が付き添って看護する下で、身体はずっと、わりに平穏な状態だったが、今月12日に突然死去した。
陳さんの死去後、刑務所は正門の警備を厳しくした。傍観者の話によると、陳さんの息子は寒い日に綿入りの上着を開いて陳さんの骨箱をしっかりと懐に抱いて悲しみ、家族はみな泣いていたという。陳さんの家族は2、3日間、刑務所の入り口にいた。通行人と傍観者はその様子を見てみな同情し、多くの人はあれらの警官は人間ではなく、無法の限りを尽くして、人を思うままに殺しているので、悪の報いに遭わなければいけないと罵った。
陳さんは南京大学を卒業し、本来は中国人民建設銀行連雲港支店の部門責任者でコンピュータ課の副課長だった。1995年に法輪功を修煉し始め、更に真面目に仕事をし、喜んで人を助けるようになり、周囲から高く評価されていた。1999年に法輪功が迫害され始めてから、陳さんは何度も迫害された。1999年12月に連雲港市公安局に不法に勾留され、1年半の労働教養を受けた。2001年9月10日に再度勾留され、2002年9月12日に8年の判決を言い渡され、蘇州刑務所に入れられて引き続き迫害された。2004年7月29日に頭部に傷を受けた後、意識不明になってすでに2年余りが経っていた。
条件が備わる江蘇の学習者らは、陳光輝さんが迫害されて死に至った関連情報、及び関連する悪人に関する情報を更に調査し、邪悪を暴き出すことを望む。
2006年12月26日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/12/25/145410.html)
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