近頃武漢地区では集金活動が相次いで発生し、しかも集金発起人は師父の看板を掲げて、師父からのファックス及び師父の妻からの電話があったとして、「大紀元による授権の下で、急きょ多額の資金を必要としている」などと言い張っています。また、新唐人などの看板を掲げることを避けているものの、資料製作点に資金が不足していることを理由として集金している者もいます。今回の集金発起人は、1999年の北京新聞記者会見に参加したこと及び師父による伝授クラスに参加したことを個人の「キャリア」として掲げ、偽造ファックスを利用して学習者を惑わし、学習者に多額の資金を集金するように説得し、しかも「研究会」と「基金会」を成立させるための集金だと宣伝しています。その詐欺の手法は卑劣で、しかも、近年学習者と装う多数のスパイと詐欺者などがすでに暴露されたにも関わらず、地元の学習者の間では依然として大きな影響を及ぼし、学習者と資料製作点の安全及び資金に悪影響を及ぼしかねない情況に発展しました。
師父は『転法輪』の中で、煉功しても功が伸びない二つの原因について「高次元の法が分からないために修煉ができないことと、内に向かって修煉せず、心性を修煉しないので、功が伸びないのです。この二つが原因です。」とおっしゃっていました。
なぜ今日に至っても未だに少数の学習者が再三に偽経文に騙されているのでしょうか? なぜ武漢の「偽経文」が「偽造ファックス」に変装しただけで、それを識別できない学習者がいるのでしょうか? 求める心、歓喜心及び恐れる心などの執着心が強いため、邪悪に隙に乗じられたのではないのでしょうか?
真に大法を修めている弟子なら誰もが知っているように、1999年から迫害が始まってから、師父による大法の経文はすべて明慧ネットに発表されており、明慧ネットに発表されていない「経文」は必ず偽造されたものです。師父は『2005年サンフランシスコでの説法』の中で何度も強調したように、「正式に明慧ネットに発表され、正式に出版されたものだけが、調べる時に根拠があり、誰も乱すことができません」。師父は決してファックスの形式で中国大陸の個別の大法弟子に説法なさることはないのです。
大法の修煉は、集金する活動を厳禁しています。違反すれば大法に甚大な破壊をもたらすことは、すべての真に修める大法弟子が心に銘記していることです。法は決して改ざんされてはならず、法は金剛不動のものです。決して常人社会のもののように個人の観念に応じて変化したり、融通を利かせたりすることはありません。
修煉は厳粛であり、常人社会のいかなるものよりもさらに厳格で厳粛です。すべての言動や活動は、法を基準にして初めてその善悪、真偽を判断することができるようになります。修煉者にとって「法をもって師となす」ことはきわめて重要な要求であり、一修煉者がどのような次元に到達しても、このことについてはっきり認識できなければ邪悪に利用され、甚だしく妨害されてしまいます。今日になっても問題があったときに「法をもって師と為す」ことを知らない学習者は直ちに目を醒ましてください! 集金問題についての法を知らない学習者は、どうして騙されずにいられるのでしょうか? ある人の次元を判断するとき、その心性の高さから判断すべきであり、いわゆる「光栄ある経歴」から判断すべきでないことを知らない学習者が、どうして邪悪による惑わしを解体することができるのでしょうか?
正法が今日まで至り、大多数の中国大陸の大法弟子はすでに法の中で成熟するようになりました。しかし、少数の学習者が問題に出くわすと法をもって師と成すことを忘れ、大法を忘れて、衝動的になりがちです。そのため、騙しの策略を見破ることができない上、本当に真相資料を製作する資金を詐欺発起人に渡してしまう学習者が出てきました。これらの衝動に駆られて集金に参加した学習者たちは自己反省してください。本当に心を静めて法をしっかり学べましたか? 大法を修煉する弟子として、その善良さと師父に対する感情がこれほど軽率に邪悪に利用されてしまった学習者には、一体どのような執着がまだ発覚できず、放下できていないのでしょうか? この時点に至っても放下できないそれらの学習者は迫害に反対し、法を実証する中でどのような作用をもたらしているのでしょうか? これほど多くの法をもって師と成し、決してこのような類の問題に動じられない大法弟子と見比べて、スパイと詐欺者に動かされて参加している学習者たちは、早く自分の修煉における大きな遅れに気づいてください。他の大法弟子と見比べて、時間を大切にして法の中で精進してください!
武漢地区及びその他のこのような事件に動じられやすい地区の大法弟子は直ちに目を醒ましてください。法に基づいてはっきりと自分を修めることができることで、初めて法を実証し、衆生を救い済度することができるようになるのです。
武漢の張○と聶○○などのような者に活動できる隙を与えないでください。さもなければ悪の蔓延を助長し、自ら妨害されることを求めることになります。法を乱す現象を前にして、はっきりと法を認識し、理性的に法を擁護することこそ、自分自身の修煉を厳粛に対処することであり、衆生を慈悲に扱うことになるのです。
明慧編集部
2006年12月29日