日本明慧
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真に修煉しようとするには真に信じなければならない


 文/河北大法弟子 善縁

(明慧日本)私は一人の同修と共に、オートバイで田舎に行って真相を伝えたことがある。当日はとても寒かったため、同修は私を彼の親戚の家に連れて行った。私はその家に入ると、水がめのところに行き、冷たい生水を一気に飲んだ。同修は、自分は胃が弱く耐えられないので冷たい水を飲まないと言った。私は修者は冷たいものであれ、熱いものであれ恐れないと言い、自分が修煉してから数カ月経った時のことについて話した。

 それは1995年のある夜だった。私は夢うつつに、誰かが私の前に歩いて来て、手を私の胸の中に入れ、一瞬のうちに私の心臓、肝臓、肺などの内臓を取り出して持って行くのを見た。当時私は、それは師父が私の身体を浄化するために、病んでいた内臓を持って行かれ、新しいものを1セット入れてくださったことを知らなかった。それから、私は全身にあった大きな病がいつの間にかなくなり、以前は薄い粥を食べても胃が痛かったのに、後になっては何を食べても構わなかった。

 私の話は同修の心に大きく響いた。彼は修煉して間もなく10年になる。修煉する前に腸炎、胃炎、胃潰瘍を患ったことがあり、そのことはずっと心の中に潜んでいて放下できなかった。現在も生もの、冷たいもの、固いものは敢えて食べず、冷たい水は飲まない。表面上は三つのことをすべてやっていて、病業のある同修に内心から真に「病気がある」という心を放下しなければならないと言っているが、自分は逆に放下できず、「病気がある」というこの観念をしっかり固守し、結果として「病気がある」状態はずっと変わらなかった。

 その日から、同修は決心して、深く隠れている、自分でも病気があると思う心を掘り出し、またその心の存在の根源は真に師父を信じ、法を信じることができなかったことにあると気づいた。はっきり言うと、すなわち真に修煉していなかったことだった。観念が変わると、再び、生の、冷たい、固いものを避けず、冷たい水でも、お湯でもそのまま飲めるようになり、何の反応もなかった。胃も痛みも感じなかった。同修は「私を10年困惑させた殻をやっと破ることができた」と嬉しそうに語った。真に修煉しようとすれば、真に師父を信じ、法を信じなければならない。あなたが真に修煉し、真に信じれば、師父は真に面倒を見てくださる。

 同修の変化は私に師父の経文『警告の言葉』(『精進要旨』より)を思い出させた。師父はすでに10年前にこの経文を書いてくださった。師父は私たちに「わたしと大法に対する皆さんの考え、認識、感謝のしかたはみな常人の考えの現れである。しかし、わたしはまさに皆さんに常人から抜け出すことを教えているのである! 理性から真に大法を認識しなさい」と警告された。しかし自分はどのくらいできているのだろうか?

 以上は現在の次元でのわずかな認識であり、同修らの慈悲なる叱正を願う。

 2006年12月31日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/12/30/145781.html