遼寧省:法輪功学習者・趙吉元さんは、6年間にわたり迫害されている
(日本明慧)遼寧省瀋陽市大東区の法輪功学習者・趙吉元さんは、法輪功の修煉を堅持したため、2001年2月27日に悪らつな警官に強制連行され、地元の裁判所に7年の刑を言い渡され、瀋陽市第二刑務所へ送られ、現在に至っている。
趙さんは第二刑務所で、殴打、刑具による締め付け、独房に監禁、電気警棒による電気ショック等の拷問を受け、6年近く迫害され続けている。
趙吉元さん(54歳男性)は瀋陽市第四建築工程公司プレキャスト部材の加工工員で、瀋陽市東派出所へ派遣され3年間働いたことがあった。趙さんは1998年7月に末期胃ガンと宣告されてから、体の具合が思わしくなく、仕事もできなくなった。その後、毎日嘔吐するようになってから、水すら飲むことができなくなり、体重は40キロまで落ちてしまった。
1998年12月に、法輪功の創始者・李先生の説法録音を聞いたのち、奇跡的に食事ができるようになり、翌日は軽く掃除もでき、出勤までできた。末期ガン患者の趙さんはそれから人に会うたびに、法輪大法が自分の命を救ってくれたと言うようになった。人々もその事実を目撃した。
1999年7.20以降、趙さんは真相を伝えるために2度上京したが、強制的に連行され、同年12月に瀋陽市龍山強制労働教養所へ送られ、信仰の放棄を強要され、2000年6月に解放された。
2001年2月27日、趙さんと他の学習者が真相を伝える際に連行され、瀋陽市の裁判所は趙さんに対して、不法に5年の刑を言い渡した。趙さんは上訴して訴えたが、裁判所より7年の刑に変更されたという。趙さんはそのまま、瀋陽市第二刑務所へ送られ監禁された。
2002年8月24日から9月21日まで、趙さんは独房に監禁され、両手は手錠で10日間、両足は足かせで7日間にわたり固定させられた上、刑務所内の他の受刑者に殴打された。独房は窓もなく、4㎡もない狭い場所で、趙さんは暗闇の中で約1カ月間監禁された。また、趙さんに与えられた食事は1日2食で、饅頭1個とトウモロコシスープを一口くらい、数きれの漬物のみだ。そして、歯を磨くのも、顔や体、手を洗うのも禁止され、着替えも許されなかった。さらに、両足を真っ直ぐに伸ばし、16時間にわたって床に座らせられた。服従しなければ、直ちに悪らつな警官や職員に殴られ、電気警棒による電気ショック、大の字にさせて吊るし上げられる等の拷問を受けるという。
2006年6月16日午後2時、趙さんは囚人服の着用を拒否したため、悪らつな大隊長・李建国に「小号」独房(2.5㎡にも満たない湿気の多い暗い一室、夏でも厚着しなければ寒いほどだという)に監禁された。さらに、3人の受刑者を唆し、趙さんを強く倒し押さえ、強制的に囚人服を着せようとした。趙さんが抵抗したため、悪らつな警官は趙さんの右ひざ目掛けて電気ショックを強いた。趙さんはこの独房で1週間も監禁された。
また、趙さんはこれまでに5回にわたり、中央からの幹部が刑務所を視察する時に、必ず「法輪大法が素晴らしい」と大声で叫んだ。しかし、法輪功が迫害を受けていることを誰も尋ねる人はいなかったという。
2006年7月、趙さんは獄中の法輪功学習者たちと迫害に抗議するために、集団でハンストを行ったため、第一監視区へ移送され、家族の面会を禁止された。
刑務所側は情報を封鎖したため、趙さんが受けた迫害の情報を入手できない状況である。一度、幹部の視察時に、警官が趙さんを指し幹部に、この人は大の字で15日間宙づりされても声一つ出さなかったと話した内容から、趙さんは常に拷問を受けていることが分かった。
趙さんは悪党に不法監禁されて6年近くなる。趙さんの妻は自宅で年老いた親と子供の面倒を1人で見て、生活困難に陥っているし、趙さんの息子は大学を卒業してから就職したが、父親が不法監禁されたため、結婚もできないでいるという。
2007年1月1日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/12/28/145635.html)
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