日本明慧
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ジャムス労働教養所:法輪功学習者・成漢波さんは迫害されて死亡(写真) (日本明慧)黒竜江省ジャムス市の法輪功学習者・成漢波さん(女性)は、1999年7.20以来7年間、地元の「610オフィス」、公安局、派出所、留置場、労働教養所の者に迫害され、家族も巻き込まれて迫害を受け、経済的に数万元の損失をこうむった。成さんはかつて、ジャムス市労働教養所で野蛮な迫害を受け、心身ともにひどく傷つけられ、帰宅後も一向に回復しなかった。迫害から逃れるために、一家全員引越しをした。この数カ月、成さんは食事を取ることができず、容態が徐々に悪化し、2006年12月17日にこの世を去った。享年47歳。
成さんは生前、受けた迫害について次のように語った。 私は成漢波と言います。2000年北京に陳情に行って戻ってきたとき、永紅公安支局の警官に「少し話を聞くだけだ」と騙され、そのまま留置場に送られ、不法に27日間監禁されました。家族は永紅公安支局の石秀文をはじめとする警官に1万元余り強要され、私はやっと釈放されました。 2001年、真相資料を配布中、密告され、土龍派出所に連行され、樺南県公安局に移送され、取調べを受けました。私は取調べに協力しなかったため、ひどく殴打され、樺南留置場に送られ、40日間監禁されました。今度も1万元強要されてから、釈放されました。 留置場で、布団を買うために家族が送ってきたお金はある看守に横領されました。以前残っていたお金をある学習者に渡すよう、ある女性看守に預けましたが、それも行方不明です。 2001年8月、私はまた資料を配布中、密告され、樺南留置場に監禁され、取調べに応じなかったため、またひどく殴打されました。家にはもうお金がないため、私はジャムス労働教養所に送られました。そこで何の手続きもなく、2年間の労働教養を言い渡されました。健康診断のとき、心臓病があり、さらに検査が必要と言われましたが、警官らはもう検査は必要はないと言って、私を労働教養所に入れました。 私はベッドで2、3日横になってから、労働教養所の警官は法輪功を否定するようになった元修煉者を指図して、私に対する洗脳を始めました。私はそれに応じなかったため、入所者を厳しく取り締まる班に移され、大法を誹謗中傷するビデオを見せられ、毎日殴打と罵声の中で過ごしました。 2002年9月、悪人らは修煉をやめない学習者に対して、最も邪悪な迫害を加えました。囚人服の着用を拒否したため、十数人の警官にゴム棒でめった打ちされ、両手を背中で交差させて、低いベッドに手錠をかけられ、この姿勢を午前10時から午後3時までずっと強いられました。そのときの苦痛は想像できないもので、手は大きく腫れあがり、足も黒く紫色になりました。その後7日間も手錠をかけられました。 2002年10月、私はタイル一枚の大きさの所に座らされ、線を越えると殴られ、目を1回閉じると、座る時間が10分延長されました。同時に同じ姿勢で朝4時から、夜11時まで大法を誹謗中傷するビデオを見せられました。その20日後、また両手を背中で交差させて手錠をかける刑に掛けられ、決裂書を強要されました。私は3回もこの拷問に遭い、さらに警官に裸にされ、邪に悟った者が書いた師父と大法を罵る文章に無理やりに捺印をさせられました。 2003年の旧正月前、また大法と決裂する文書を強要され、2回も手錠を掛けられ、当時冷や汗をたくさんかき、手錠を外されても動くことができず、警官らに担がれてベッドに入りました。 2003年6月25日、大法を誹謗中傷する文書をまた強要され、私は拒否したため、ひどくめった打ちされ、顔面がすぐに腫れあがって、ベッドに手錠を掛けられ、レンガの床に15日間も座らされ、洗顔も歯磨きも許されませんでした。さらに、刑期を一カ月間延長されました。 このような迫害に遭っても、私の心に恨みはありません。ただ、悪事を働いている警官と真相を知らない人々が一日でも早く、目覚め、自分のため、家族のためを思い、迫害を停止し、中共とその関連組織を脱退し、美しい未来を切り開くよう、切に願っています。 2007年1月3日 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/1/2/145964.html) |
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