羊艾刑務所:陽紅艶さんが迫害されて死亡(写真)
(明慧日本)法輪功学習者・陽紅艶さんは2001年7月27日に | 陽紅艶さんの生前の写真 | 不法に判決を下され、貴州の羊艾刑務所で不法に4年の労働教養を受けることになった。満期が近づいた2004年12月前ごろ、貴州省は貴州の各刑務所を含めて法輪功迫害の関係者を集めて、重慶、北方など法輪功への迫害の最も酷い地方に行き、経験を積ませた。帰ってきた後、中共の意図に沿い、貴州の法輪功学習者に対して馬力をかけて非人道的な迫害をし、陽紅艶さんは貴州の公安医院で死に至った。
陽紅艶さんは2001年に入獄した後、大法修煉の意志が固くて、ずっと邪悪に妥協しなかった。陽さんはいつも積極的に公安部門の幹部警官と他の拘留中の受刑者を訪ねて大法の真相を伝える以外に、また自分で真相資料を編纂して配った。そして、我が身をもって教えさとすことで、法輪大法は正法で宇宙の真理であることを実証し、病気を追い払って健康を保つ素晴らしい効き目を持つだけではなく、また人の心の道徳を向上させる高徳な大法であることを伝えた。そのため、陽さんは警官に気が狂ったように迫害された。
迫害に抗議して、陽さんはかつて二度断食したため、何度も暗い小部屋に閉じ込められた。この部屋は1・5平方メートルほどで、その上、食べる、飲む、排便することも全部この中でしなければならず、長期に人身の自由を失った。陽さんは法輪功を修煉する前に重い甲亢(甲状腺機能亢進)の病気、乳癌を患って、長期にわたり治療したが治らなかった。法輪功を修煉してから、この頑固な病気は不思議と消えた。陽さんは暗い小部屋に閉じ込められて、朝食を許されず、食べ物を十分に与えられず、下の階まで降りることを許されず、長期にわたり精神と肉体に打撃を受け、持病が再発し、骨と皮ばかりにやせて、人間の姿を失うほどだった。それでも、監室に戻れば、法を暗記することを頑張って続け、真相を伝え、三つの事をしっかりと行った。体の回復も速くて、同修達も彼女のために喜んだ。
陽さんが間もなく満期になって家に帰る前に、貴州省が法輪功への迫害のために経験を積ませておいた関係者が帰ってきた後、中共の意図に基づいて、貴州の法輪功学習者にさらに残酷で非人間的な迫害をした。そのため、陽さんなどは重要人物と見なされて、いつも辺鄙で静かな所まで引っ張られ、あるいは暗い小部屋に閉じ込められて滅多打ちにされ、気絶するまで続けられた。陽さんの家族が訪ねに行った時、陽さんの腕に青紫色の傷跡が見えた。
陽さんは最後に貴州省の公安医院で迫害されて死に至った。陽さんの家族が死亡通知書を受け取った前日に、陽さんの息子と前の夫が訪ねた。陽さんは慈愛に満ちて「よく勉強して」と息子のことを心配し、自分は2004年12月には家に帰り、子供の世話ができると言った。
しかし翌日、突然陽さんの訃報を聞いて家族は大変驚いた。そこで、家族は陽さんのために急いで作った新しい服、ズボン、靴、靴下を持って、公安医院まで駆けつけた。どうしても陽さんに着せようとしたが、陽さんの遺体を厳密に取り囲む公安と610オフィスの役人らに狂暴に拒絶され、まったく家族を遺体に接触させず、公安は大至急強行して火葬した。この悪らつな行為から、陽さんの生体から臓器を摘出された疑いがある。
関係箇所の電話番号などは省略(詳細は明慧ネットの中文を参照)
2007年1月4日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/10/26/141047.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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