山東竜口市南山グループは法輪功学習者を迫害
(明慧日本)江沢民が法輪功と法輪功学習者への残酷な迫害を始めてからすでに7年余りが経ち、政権交代する際、すでに最後の日が来たことを知り、悪の報いを恐れてあちらこらちらに隠れて逃げたが、依然として恐れて落ち着かない。2006年5月9日、竜口南山グループまで逃げ回って大仏に救いを求めたという。
江沢民が法輪功を恐れているため、竜口市の警官らは、法輪功学習者を騙して連行し、丁家610洗脳クラスまで不法に拘禁した。真相を知っていた村の幹部達は、村の法輪功学習者を保護した。洗脳クラスまで連行された学習者は全県でおよそ25人。しかし、そのうち南山グループは4人を連行した。
4月26日午前、南山グループ保衛処処長・隋信英は部下を率いて孟祥亮の料理店に侵入した。ここでアルバイトをしている法輪功学習者に対して不法に家財を差し押さえた。法輪功の書籍、師父の説法テープ、師父の法像、煉功テープなどを没収して持ち去ったが、法輪功学習者は脱走した。4月30日、隋信英はまた4、5人を率いて再度料理店で家財を差し押さえ、さらには料理店を差し押さえた。ちょうどメーデー旅行の時期だったため、早めに十分用意していた食品が差し押さえられた後、ほとんどが腐ってしまった。重大な損失を蒙り、処長の隋などは「隠れて法輪功をした」というでっち上げの罪名で孟祥亮さんを南山から追い出した
南山保衛処が4人の法輪功学習者を610オフィスまで連行した後、また一部の法輪功学習者に対して不法に家財を差し押さえ、勝手し放題だった。江沢民が仏を礼拝し終わって去った後、610オフィスはやっと人を戻した。悪らつな南山グループ保衛処は法輪功学習者にいわゆる「煉功しない保証」あるいは師父を罵ることを言わなければ釈放しないと脅迫した。他の村の法輪功学習者に対する迫害の状況は不明。
法輪功学習者・宋洪田さんは、法輪功を修煉する前に、糖尿病、心臓病を患っていたが、97年に法輪功を修煉してから全快した。彼は自ら受益したため、法輪功を固く信じて「保証書」を書かず、師父を罵らなかったため、南山から追放れて家で戻ることはできなかった。60歳を過ぎた年寄りがたった一人で家にいる。
話によると、1994年南山派出所の所長・王林江さんは、最初に法輪功を学んだ。そして皆を集めて学んだり煉功したりして、法輪功を南山で広げてきた。それから、学ぶ人が次第に増えた。南山の理事長・宋作文はこれを知った後、ただちに王林江さんを追放した。その当時、江沢民はまだ法輪功への迫害を始めていなかった。宋作文は先に手を出して迫害したのである。その時、一部の南山の人は他の村へ法を学びに行くしかなかった。1997年に法輪功学習者・王立剛さん夫婦は自分の家に煉功場を設けた(当時王立剛さんはすでに工場長を任命された)。少し時間が経ってから、宋作文に知られて、理事長の宋はまた王立剛さんの工場長を取り消して、公職を奪った。そして、王さんの家族を南山から追放した。
宋振利さんはグループ会社の元上層の指導幹部で、同じく法を学んで、宋作文にすべての職務を取り消されて追放された。何回も家財を差し押さえられて、また保衛処まで連行されて拘禁されたことがある。
宋作文による邪悪な迫害のため、十数の村を合併した南山で、大胆に公然と自分が法輪功学習者であることを認める人はいない。大胆に真相を伝える人は更にいない。南山住民区は閉鎖しているため、外から宣伝ビラを送るのは比較的に困難である。他の村から来た職員は、法輪功を修煉し、会社で真相を伝えれば同様に捕まるか、あるいは公職を剥奪される。宋作文は法輪功に反対して、法輪功学習者を迫害し、3万人あまりの南山グループの職員は救い済度されない。罪業は深く、天から罰を下されるだろう。そして永遠に回復できない深淵に向かうだろう。
国内外の学習者は、南山の理事長・宋作文、保衛処長・隋信英に真相をはっきり説明することを望む。そして彼ら二人を救って、そして、南山の衆生を救度するよう望む。
関係箇所の電話番号などは省略(詳細は明慧ネットの中文を参照)。
2007年1月5日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/12/12/144507.html)
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