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半身不随の姉が走れるようになった!

—広州講習会で師父にお会いできたその幸せな時を振り返って


 文/成都大法弟子

(明慧日本)広州の講習会に参加していた時のある日、同修から一緒に師父に会いに行かないかと誘われました。朝の7時ごろ、私たちは師父が泊まっておられる宿泊所に行き、ノックして部屋の中に入りました。ちょうどその時、師父の娘さんがバスタオルをかけてトイレに入りました。ちょっと早過ぎたと後悔していた時、師父が「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ」と、優しく声をかけてくださいました。しばらくして、広州と大連から5人、香港から女性1人が娘さんを連れて来ました。部屋の中はすぐ人でいっぱいになりました。

 香港からの女性は、40代、50代くらいの方で豪華な衣服の方でしたが、部屋に入るやいなや泣き出してずっと涙が止まりませんでした。師父は彼女の肩を軽く叩きながら、「泣かないで、泣かないで」と、優しく言われました。また、師父は随行の学習者に私たちにたくさんの美味しい果物を出すように言われました。当時、私は幸運にも師父の傍に座っていましたが、悟性はとても良くありませんでした。私は果物を他の学習者に渡しながら、師父に随行している学習者に果物の皮剥き用ナイフを取ってもらいました。全員が食べ始めているのを見て、私はやっと小香梨一つを取って皮を剥いて食べました。師父は何も食べず、にこにこしながら慈悲深い表情で皆を見ていました。まるで後輩に対する年上の人のような感じでした! 私は最高の幸せを感じました。

 実は、私は行く前に師父に提出する質問をたくさん用意したのですが、師父の傍に座ると自然と何もかも思い出せなくなり、まるで2、3歳の子供が母親と離れたくないと言わんばかりに袖を握り締めて離さないのと同じように、私はずっと師父と一緒にいたいと思いました。

 講習会が終る時、広州の責任者が師父を大連にお招きして1、2日間の報告会を開きたいと言っていました。当時は12月で天候はとても寒かったのですが着替えを持って来ていなかったため、私は師父について行くことができませんでした。今その時のことを思い出すと後悔しても後悔しても悔やみ切れません。

 当時、広州の講習会には、西安から駆けつけた私の二番目の姉と三番目の姉も参加しましたが、二番目の姉は半身不随になってすでに十年も経っていました。手足は麻痺状態で車椅子の生活を送っており、桃一つの四分の一をやっと食べられるくらいの状態でした。気持ちは食べたいが、思い通りにできないことに腹を立てて、彼女は「以前いっぱい食べられる時には、食べさせてくれなかったくせに」と、周りにきつく当たることもありました。講習会の三日目に私たちは、両方で姉を支えながら、一苦労して階段を登り切って会場に入って師父の講法を聞く予定でした。入り口の所まで来て、受付の係りの人はチケットを提示しない人は中に入ることができないと固く原則を貫こうとしました。当時、姉はチケットを下着のポケットに入れていたので、急いで手でポケットに触りながら、「毎日来ていて、みんなが顔見知りじゃないか。何がチケットを提示しないと入れないというのか」と、怒り出しました。姉はチケットを探し出して受付の係員にちらっと見せて、そのまま自分一人でよろめきながら階段を登って行きました。その様子を見て私たちは驚きました。「お姉さんが歩くようになった、お姉さんが歩くようになった!」。

 周りの人たちは不思議そうに私たちを見ていました。姉は真っ直ぐに自分の席まで行き座っていましたが、まだ不満を言いながら受付係りの学習者のことを怒っていました。しかし、私たちは嬉しくてたまりませんでした。さらに、不思議なのは、西安へ帰る時に飛行機に乗り遅れそうになった時のことです。空港に着いて私たちは二番目の姉を両方で抱えて中に入ろうとしましたが、姉はもう時間がないからと言って私たちを振り払い、「私たちはそれぞれ、走ったほうが良いじゃないか」と、一言言い残して空港の中へ走って行きました。

 師父と一緒にいた当時、神秘的なことがあまりにも多すぎて、どこから話したら良いのか分からなくなりました。まず、今回の話はここまでにしておきます。私は教育レベルが低く、私の口述に基づいて同修に代筆して頂きました。

 2007年1月16日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/11/9/142057.html