■日本明慧 http://jp.minghui.org/2007/01/18/mh194794.html 



山東諸城の盧培蘭さんは夫、息子に次いで冤罪を晴らせないまま迫害により死亡(写真)

盧培蘭さんの生前の写真

(明慧日本)山東省諸城市の法輪功学習者・盧培蘭さん(78)は、中共の長期にわたる迫害の中で冤罪を晴らせないまま世を去った。盧培蘭さん一家は法輪功を修煉しているため、数年来何度も迫害を被っており、夫の董シン河さん、息子の董月忠さんは前後して迫害の中で冤罪を晴らせずに世を去った。

 盧培蘭さん(女性78歳)は、山東省諸城市竜都街道(もとの城関鎮)兩河村の出身。1996年に法を学び始める前に、かつて高血圧、冠状動脈性硬化症などの多種の病気を患って、何度も入院したことがあった。法を学んで間もなく、病気が一つもない軽い体のすばらしさを、身をもって経験した。それから、毎回ご飯の時、一握り、一握りもの薬を飲むことも二度と必要なくなった。夫の董槙河さんは1997年に法を学んで煉功してから、以前の肺結核などの病気は全部治った。

 しかし、1999年、江沢民は中共と互いに利用しあい、法輪功の迫害を始めた。この70歳すぎの老人さえ被害にあった。それ以後、彼女は信仰を堅持するため、家には静かな日はなかった。村の中共書記・董巧山、区主任・張霞、副鎮長・于彦勝らは、盧培蘭さんに法輪功を学ばない、煉功しないという保証書を書くように強制し、彼女は字が読めないため、警官が代筆して書いた後に、彼女に拇印を押すように強いた。その時、村中の不法な者は、于彦勝、張霞の指示で、一人毎日40元の給料で数十人を雇って村中の煉功者を監視し、そして、これらの金は全て煉功者から出すと言いふらし、董シン河さんの家族の3軒の学習者を全て各自の家に鍵をかけて閉じこもった。彼の6、7歳の小さな孫娘もいる。1999年8月、元城関鎮政法書記・陳家智は秘密裏に董槙河さんを連行した。 

 警官は何度も盧培蘭さんの家に行って不法に家財を差し押さえ、末の息子・董月華さんをこれまで6年間に5回も連行した。長男の董月忠さんは1999年7.20以前も法を学んで煉功していた。迫害が始まってから、勤務先、村委員会からの圧力に耐えられなくなり、法輪功を学ばない、煉功しない保証書を書いた。2000年の夏、脳血栓の病状が現れて、自力で生活ができなくなったが、再び法輪功を学んで間もなく、一人で歩けるようになった。しかし、中共人員らによる彼の家族に対する一連の心身の打撃のもとで、2001年2月9日に冤罪を晴らせないままに世を去った。息子を失う痛みに耐えていた董槙河さんは、絶え間ない迫害の中で、2003年末に持病が再発して、2004年2月26日に世を去った。

 2004年師走の23日午後、李法臣が十人近くの悪人を連れて竜城市場で董月華さんを不法に連行した。同時に警官の周忠は十数人の悪人を連れて3台のパトカーに乗って、彼の家を荒らしまわった。最後に説法テープ一本と法輪功の書籍一冊を探し出した。周忠は「董月華はすでに留置場に閉じ込めた、これが証拠だ」といった。老人と一緒に暮らす末息子の嫁は「これはお母さんの命の綱、お母さんは多くの病気を患って、法輪功を学んで治りました。持っていかないで…」といったが、周は一切無視して、いわゆる「証拠」を持って大手を振って立ち去った。董月華さんは留置場の所長・孫立基に全身めった打ちにされた後、またゴム棒で顔を打たれ、顔面全体が変形した。その後、老人はショックを受けすぎて意識が朦朧としていた。

 中共の数年来の残酷な迫害のもとで、盧培蘭さんは中共に迫害されて一家離散し、肉親を失う苦痛のもとで、2006年旧暦9月1日に冤罪を晴らせないままに世を去った。

 2007年1月18日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/12/18/144927.html

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