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迫害を終結させ、邪悪を解体できるかどうかは自分自身による


 文/大陸の大法弟子

(明慧日本)毎回、明慧ネットに入れない同修に会うたびに、いつも「最近、師父は新しい経文を出されたの?」または「明慧ネットに新しい情報は掲載されたの?」と聞く同修がいる。このような同修は、迫害の終結と正法の終結を望んでいる。また、一部の同修は時間に執着し、どうにかして師父の経文から、いつ迫害が終わるのかについて探そうとしている。「徹底的に邪悪を解体する」という経文が発表されてから、一部の同修は、そろそろ迫害も終わるし、私の家族はまだ監獄の中にいるので、もう期間満了を待つ必要もないと思って、そして毎回発正念をするたび、自分の家族の名前も入れて、他の同修が発正念をする時も家族の名前を一番最初に付け加えようとしていた。中には、迫害の終結は2008年のオリンピックだと決めつけ、師父は邪悪がそこまで維持できないとおっしゃっているからだと言う同修もいる。

 大法は修煉であり、修煉とはたえず人の執着を取り除かねばならない過程である。いつも、どんなときに終結するのかと考えるだけでも、外に向けて求めていることになり、永遠に探し出すことはできないのである。大法弟子には基準があり、この基準は決してあいまいにすることはできないものである。大法弟子の全体が基準に達したとき、邪悪もおのずと消えてしまうだろう。

 修煉者は、すなわち内に向けて探し、内に向けて修める存在であり、自分自身の宇宙体系内にある邪悪を取り除かないと、迫害は常に発生し得る。他人は誰も助けることはできず、また他の同修をも妨害してしまうことになる。ただ、心を静めて法を学び、法に基づいて自分を清め、人間の考えをたえず捨て去り、根本的に常人の観念を変えることで、人間というこの次元から逸脱し、法に基づいて昇華すれば、邪悪も必然的に解体され、迫害も終結を迎えるであろう。

 もし、学習者の中に、法は悪くないが常人の生活も悪くないと思いながら、しっかり精進して修めない人がいれば、邪悪に乗じられる隙を与えてしまうことになり、邪悪もまさにこのような人を探して迫害しているのだ。

 2007年1月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/1/19/147138.html