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私の「正邪の大戦」に対する理解


 文/北アメリカの大法弟子

(明慧日本)近頃、新年祝賀祭のチケット販売の活動が日増しに忙しくなる中で、よく文章や同修の会話の中で、「正邪の大戦」という言葉が使われている。ここで、私の考えを皆と交流し合いたい。正しくないところはぜひ指摘していただきたい。

 師父は、正念をもって邪悪を取り除くよう教えられているものの、いまだに私たちに邪悪と対戦するようにはおっしゃっていない。しかも、私の周りの同修も、戦いに勝たなければならないと言っている。これは、常人の考えだと私は思う。私たちが邪悪と対戦すると思うことは、実際のところ私たち自分自身を見下げ、邪悪を高めることにはならないだろうか? あるいは、邪悪に考えが集中することで、邪悪自体を承認することにはならないだろうか? 実際のところ、私たちは師父が法を正すことを助け、衆生を救い済度するために来た。師父も「わたしは人と闘うことが嫌いな上、彼とは闘うまでもありません。彼が良くないものを持ってきても、わたしはそれをきれいに片付けてから、説法を続けていました。」とおっしゃっていた(『転法輪』より)。師父のこの説法こそが、私たちの今の法を正す情勢を示しているのだと思う。私たちの正念が強ければ、邪悪は無に等しいのだ。

 2007年1月22日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/1/23/147399.html