しっかりと法を学ぶことについての感想 文/遼寧省の法輪功学習者
(明慧日本)一部の同修は大法の書籍を読むとき、読み落としたり、文中にはない漢字を入れたり、別の漢字に読み間違えたりする現象があり、中には一つの文章の中でたくさん間違えている同修がいたことに気づいた。ある同修が読むとき、同じ文章を7通り読んでから、間違いに初めて気づいた。読み間違える原因は、いくつかの方面で考えられると思う。
まず、師を敬い、法を敬う心がなければならない。「一正は百邪を圧する」(『転法輪』)
思想の業力、邪悪による妨害または執着心のため集中できていない、もしくは後天的観念による妨害、または人間のすでに慣習となった話し方(党文化も含む)をそのまま言い出したことが原因だと考えられる。
師父は経文「随意に用いる」で「わたしが高校を卒業し大学に進学しなかった目的は、各種の概念、定理、定義、定律、常人の理論、そして各種の規範されたものを思考の中に形成してはならなかったからなのだ。法を説く時に、宇宙の大法にこれら常人のものが混入し、法が常人の観念に妨害されてはならないのである。」また『転法輪』でも「功法を囃(はや)し唄に直す者がいますが、絶対許されません。」とおっしゃっている。
私たちが法を読むときは、必ず正確に読まなければならず、自分の体内および考えの妨害を取り除かなければならないのである。もし私たちが暗記したのは不完全で正確でない法であったとしたら、どうやって私たちの修煉を正しく指導することができようか。このような不完全な法を他人に話した場合、どのような問題をもたらすだろうか。このような面において不足のある同修は、集団で学法する際、または完璧に『転法輪』を一通り読むよう家族に見てもらうよう提案する。自分自身に責任を持つことは、同時に法に対しても責任を負うことになる。
2007年1月29日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/1/29/147796.html)
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