日本明慧
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正念をもって仕事に臨み、慈悲をもって衆生を救い済度する(二)


文/大陸の大法弟子 蓮子

(明慧日本)

 三、常に心性を修める

 私は何しろ人から言われるのが苦手ですが、何カ月か前に会長の指示通りに数十件の取引先に答礼訪問を行うことになりました。私はありのままの情況を報告書に書きました。会長は最近業務の展開がスムーズにいかない原因として、ある担当部門の社長の経営上での態度不良が問題であるとし、真実の情況を直視しようとしませんでした。私の情況報告書のほとんどがこの社長の経営上の態度を問題として修正されました。それをみて私はとても苦しくて、問題と言われているその社長はきっと私のことを憎んでいるだろうと悩みました。一時期、彼は私に対する態度はとても良くなかったのですが、だからといって会長のことを解釈することもできませんでした。

 ある日の夜、様々な考えが激しく湧き出てきて、これ以上ぬれぎぬを着せられるなんて、我慢できないと思いました。私は彼に電話してこれらすべてを解釈しようとしました。しかし、これらのことに対して正念を発する時、とにかく人から言われるのを怖がっている執着が見えてきました。私は正念を発してそれらを取り除きました。このように私は冷静を取り戻し、落ち着きました。これらのことについて事実を解明したいことなどは重要なことではないと私は悟りました。彼はまだ根に持っていると知っていましたが、私は正々堂々として彼に向き合うようになりました。

 それからある日私は、彼も一人の衆生であり、これらが大法に対する彼の正しい認識を妨げることになってしまってはいけないと気付きました。自分の心性の向上だけを考えていた私は、とても利己的でした。まもなくして、ある日の午前、私は彼に会いました。その時彼は満面の笑みで私に業務展開がうまく行っているのかと聞きました。私は色々と話しながら彼に市場調査の実情も説明しました。彼は笑いながら、「なぜ、皆が私に向かってくるのかと思っていましたが、わけがあったのですね。もうかまいませんので」と言いました。このように私たちの間の心のわだかまりは解けました。会長から文句を付けられるのではないかと心配していたのですが何事も起きませんでした。

 ある日、私は取引先の会社を会社にお招きしました。もともとの社内での約束としては、何人かの副会長レベルの人が同行して接待することになっていましたが、内部の利益争奪に気を取られて、取引先を怠慢に取り扱いました。彼らは全部の仕事を私に任せておいて、私をとても難しい立場に陥れました。もし、昔だったら、きっとカンカンになって怒り出し、辞職までに思い及んだはずの私でしたが、大法のおかげで冷静に対応することができました。夜に法の勉強をした時、私はすべてを常人の方法を持って解決しようとしてはならないと悟りました。

 法の勉強と発正念を通じて、私は益々冷静になり、自分は仕事の能力がないからと決め付けて、いつも取引先から文句を言われることを避けようとしていた恐怖心を取り除くことができました。翌日、私は平然として会長レベルの人たちに、「取引先からお客さんが来社して、ハードウェアを見るとは言え、同時にどのような集団なのか私たちをも見ているのです。私が表に出て対応するにしても、彼らはすでに実体を見抜き、再び来社しなくなるのではないでしょうか。これからはみなさんのご協力をお願いします」と指摘しました。私の話を聞いて彼らは道理に合う話なので今後必ず良く行うように努力する、と表明しました。師父は、「実は多くのことをする時、落ち着いて穏やかに説明し、理性的に対処していれば、智慧が泉のように湧いてくると感じられるのです。しかも、言っていることは全てを得ており、真理なのです」(『大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説』)と、説かれました。

 会長は私に、「法輪功は人に誠実に仕事をやり遂げるように求めているのですか? あなたはそれをもって自分を律しているのですか? 信仰を持つということはとてもすばらしいですね」と話してくれました。会長と一緒に接客する度に、彼は自ら積極的に話題を私の真相説明に移しました。会社の副会長レベルの何人かも私にとても好印象を持っていて、忍耐力が強く、品行方正な人だと私を評価しました。しかも親和力がとても良いので対外広報活動能力が高いと感心していました。実は、私のこれらのすべては大法の中から得たものです。路頭に迷う生活を余儀なくされる以前、私はずっと恵まれた生活を送っていて、我慢や苦労ができないタイプでしたが、大法び修煉によって私は内心から強くなりました。

 四、慈悲で衆生を救い済度する

 職場を通じて私は、真相説明と「三退」活動を行えるたくさんの機会を与えられました。官庁だろうが、企業だろうが、高官であろうが、庶民であろうが、私は一視同仁に真相説明を行いました。ある官庁のコンピュータには、先方から頼まれて私が入れたネット封鎖を突破できるソフトウェアが設置されています。面と向かって真相説明ができない場合は、住所を教えてもらって他の学習者に真相資料を郵送で送るようにしました。時には、いくつかの組に分かれた人々が一緒に私の真相説明を聞くのです。私は大法修煉者になったことは最も光栄な事であり、ですから、毎回真相説明をする時はとても影響力があって、たくさんの人々を寄せ付けることができるのだと認識しました。

 数年前、私は公安庁のある人の結婚式に参加しましたが、ちょうど趙志飛が起訴されて帰国した時のことでした。結婚式に参加したほとんどは、公安庁と政法関係の人ばかりでした。私は同席の二十数人の人たちに大きな声で趙が仕出かした悪事を暴露しました。人々は真剣に耳を傾けてくれました。途中で質問をする人もいました。趙の同僚二人は彼を守ろうと事実を歪曲して私と論争を始め、人々の正しい判断を妨害しました。私は彼らが外へ出て行くようにと正念を発しました。それによって、挙式が始まると彼ら二人はロビーに行って、挙式が終わるころやっと戻ってきました。残りの人々は集中して私の説明を聞き、そのうちのある政法委員会の役人は、「職場で私は違う顔をしていますが、今は退社した後だから、喜んであなたの説明を受けるよ」と、胸の内を語りました。

 公安の人が多いので安全に注意してください、と声をかけてくれれた人もいました。趙志飛本人がロビーにいるかもしれませんでしたが、真相を知りたいという人々の切迫な視線を肌で感じた私はあきらめませんでした。恐怖心もなく、ただ感動して涙を流したかったのです。挙式が始まって終わるまで、あの二人を除くすべての人々は一歩も離れることなく最後まで真剣に聞いてくれました。

 また、ある食事会で刑事隊長を務めている人に会いました。彼は以前ある派出所の所長だったことがあり、数日前も法輪功学習者一人を審問したと言いました。その学習者が師父の名前を不敬に口にする彼を阻止しようとしたことに腹を立てて、その学習者を殴ったと言いました。それを聞いて私はとても憤慨して、「遼寧本渓派出所の所長が法輪功を迫害したため、家族まで事故に遭って命を落としたり、急病に襲われて死んでしまうということを、あなたは知らないのですか? 果たしてあなたは、自分と身内に悪い報いが落とされても怖くないのですか?」と、彼の目を直視しながら大きな声で忠告しました。周りの人々は雰囲気をまるくしようと私を抑えました。隣のテーブルにも刑事大隊の人が座っていましたが、私たちの法輪功修煉者が迫害を受けている事実を耳にして私は心が痛くて我慢できませんでした。「今日、私が彼にこれらのことについてはっきりと説明をしてあげたのも、実は本当は彼のためを思っているからです」と、私は慈悲の心を持って説明しました。

 結果、彼は私の言葉から流れる威厳と気勢によって震撼させられました。顔色まで変わった彼は真剣な声で、「私は聞きたいので、彼女に話をさせてください」と、話しました。しかも、わざわざ席を移して私の隣にやってきて、たくさんのことについて質問しました。この生命は本当に心から過去の過ちを悔い改めているのだと、私は忍耐強く彼に1時間にもわたって真相を説明しました。最後に席を離れる時、彼は、「実のところ、私は本気で法輪功学習者を殴ったわけではありません。ただ、脅かしただけです。今後、法輪功学習者に対しては、二度とそんな真似はしません」と、再三言いました。

 時には、皆で一緒に食事をするとなると、四方山話で盛り上がっているのですが、そのような場合私は、正念を発して話題を法輪功の真相説明に移行しました。その結果、毎回とても良い効果を得ることができました。まさに、師父のお話のように人々にはわかっている一面があり真相を知りたがっています。私たちが強い正念を持ちさえすれば、師父は必ず私たちを助けてくださるのです。

 私はどんな真相説明の機会であろうとも絶対に逃したくありませんでした。これは、迫害が始まってから、まるで自動機械のように自然に形成されました。その中で私は、たくさんのものを得ることができました。2000年、私はある上場会社の支社の副支配人を担当することになりまして、本部から会長レベルの長老たちが全国それぞれの支社の社長を招待して宴会を開き、祝いの乾杯をしようとしました。ちょうど、みなが杯を持ち上げようとする時、私は「法輪功修煉者なので、私はお酒を飲みません」と言いました。当時、全員が驚いて杯をテーブルに戻しました。

 宴会全体が私の真相説明によって動きました。すべての人が出した質問に説明を行っているうちに、なんと深夜の一時になりました。にもかかわらず、会長はまたたくさん人を連れて私の部屋にまで来て、話を聞こうとしました。会長は私に、「最初から私は、共産党が嘘をついているとすぐわかった。1400件の事例、これは人間の正常死亡率よりはるかに低く、つまり、病気を取り除いて健康を保持する効果があるということを物語っている。しかも、深センにあるたくさんの大手企業の経営者たちは、法輪功は一体どういった方法でそれだけ多くの人々を管理しているのかと研究に頭を突っ込み、それを企業の経営管理に使おうとしている。だって、中南海に二万人の人が一気に集まってきて、また、一気に去って行き、しかも、タバコの吸殻一本も落ちていなかったというから凄すぎる」と感心しました。私は「私たちの師父は、何もいらない、善に向かう心さえあれば良いと教えています。ですから、みんなが心の底から良い人間になろうとしているのです」と、説明しました。多くの人はその場で、目が覚めて共産党が捏造した嘘と虚言が分かるようになりました。

 その後、私は二回目に北京へ行く前に、本部の副会長に電話をして知らせると、彼は、「私がいくら説得しても、君を止めることはできないだろう」と言いました。私がそうです、と返事をしたら彼は、「分かった。くれぐれも安全には気をつけてくれ!」と言いました。月曜になって、私がまだ出勤していないのを見て、副会長は私が逮捕されたのだと予測して、直ちに人を北京に派遣して私を救出してくれました。当時、私と一緒に北京に行った学習者は北京の監獄で警官に迫害されて死に至りました。1カ月後、私は再び天安門に行きました。私の勇気ある行動に感動した本部の会長は、私のことを法輪功の勇士だと誉めました。私は会社の中で有名人になりました。私は、会社の中にこんなにも大勢の人々が正念を持っているということをとても嬉しく思いました。

 私は2000年から大量に真相資料を配布し始めました。あらしのような勢いで、一人で黙々と資料配布をしました。曲折の多い中、6年という長い歳月が経ちました。しかし、私はいつも強い使命感というものを感じませんでした。ただ、師父が私たちに求めていることなら良く行うようにするという程度でした。なぜ、慈悲心を修められないのかと、私は困惑に陥りました。

 今年、私は残っている根本的な執着を取り除きたいと決心しました。その後のある日、真相資料を配布している時、家々に灯火が輝いているのを見て、私はふと、常人はなんと苦しいものなのだろう、現実の嘘の理に惑わされ、情の中におぼれた生き物だと、思い付きました。しかし、これらの虚像は夢のようなものに過ぎず、通り過ぎると、何一つとして持っていけるものはなく、また六道輪廻に入らなければなりません。更に、悲しいのは中国人で、共産邪霊の暴力政権の毒害を受けて、神を信じず、天を敬わず、地獄の状態のような生活をしていながらもそれを自覚していないのです。もし、師父がいらっしゃらなかったら、人類には今日という日があるのでしょうか?! 私は突然、師父が私たちを救い済度するその辛さを肌で実感するようになりました。私たちが正法時期の大法徒になる、これは宇宙の中で至高無上の栄耀なのです。これは、なんと幸運なことなのでしょうか! 私たちには、果たして立ち上がって衆生を救い済度しない理由があるでしょうか! これは、師父と宇宙の期待なのです! いつも積極的ではなく受動的に行っていた自分のことがとても恥ずかしくなってきました。私は涙を流しながら、一軒一軒に真相資料を届け、彼らに黙々と大法の福音を知らせました。心の中から師父に対する感激の気持ちが溢れ出しました。

 私には、まだ良く修煉できていないところがたくさんあります。たとえば、私の同期生と友人のほとんどは利己的で、脱退のことについても真相説明の時のような効果がなかなか得られません。ここ数年の間、自分は真相説明に疲れていて、彼らには充分すぎるほどたくさん話し、もうこれ以上説明したくないという怠けた状態が現れています。ですから、『九評』を相手に渡すだけで満足してしまうのです。これらの惰性を克服していかなければならないと私は思っています。

 文章の中には法理に合わないところなどあると思いますが、正法はまだ終わっておらず、これらはただ私の修煉過程の中のことであり、師父も認めないし、私も認めません。今後、更に精進できるよう努力し続けます。

 (第三期大陸大法弟子の修煉体験談書面交流大会の原稿)

 2007年1月31日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/10/29/140976.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/11/14/79901.html