安逸心に阻害されず精進しよう
(明慧日本)大法弟子ならば誰もが現代科学は地球の邪教であることを知っている。科学は人々に科学を信頼させると同時に、人間の欲望を放縦させるものである。古の人々の日常生活は非常に単純であった。それに対して現代の人間は、安逸心にかられて自分の生活に満足している。利欲に心が惑わされている状態である。たえず目の前の利益を重視し、物欲を追及するがあまり本性を失い、神を信じなくなり、精神がさらに空虚になり、かえって現代の科学に迷信する。このような悪循環の中で、人間はたえず自分を滅ぼしている。これも、旧勢力が按配した一部である。
なぜ、今となっても少なからずの同修が精進することができないのだろうか? 意識できてもその精進できない状態から抜け出すことができないのだろうか? 嫌々ながら三つのことをやっているのも自分を慰めるためと感じられる。実は最も根本的な原因とは、自分がある種の迫害を認めていることに気づいていないことであり、つまり安定した生活に満足し、知らないうちに自分の正念と精進する心が阻まれているのである。
昔より厳しくなくなった今日の環境の中で、私たちははっきりとした認識をもって、この環境は正法の過程における必然的な結果であり、目的ではないことを理解しなければならない。まさに、私たちが常人の中で最大限に常人の状態に符合しながら修煉するが、常人の状態と同じになってはならないことと同じである。寺の僧侶よりも、私たちの修煉はさらに難しいのである。近頃、安逸心は修煉者の中で執着心以上の問題になりつつあり、最後になればなるほど修煉も厳しくなり、環境が緩むほど私たちもはっきりとした認識を保ち、環境による迫害の存在に対して警戒しなければならないのだ。最後の土壇場で自分自身を台無しにしないようにしなければならない。これも旧勢力の要素が狙っているものであり、旧勢力も従来通り、大法弟子と衆生に対する迫害を緩めたりしていないのだ。
最近の学法の体験にすぎず、間違いがあればぜひ指摘してください。
2007年2月1日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/1/31/147989.html)
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