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全世界華人新年祝賀祭を見た感想


 文/カナダの大法弟子

(明慧日本)私はトロントで新唐人テレビの全世界華人新年祝賀祭の公演を見ました。一人の大法弟子として私は感動を抑え切れませんでした。国内の同修に電話したときのことを覚えていますが、私が「公演を生で見られるようになった」というと、彼らは「これは師父が法を正されているのです。あなたはただの観衆ではなく、ステージで演技をしている人たちと一体になって発正念をして師父とともに法を正してください」と言いました。

 私は前半しか見られなかったので、その間公演を見ながら発正念をしました。私は天目が開いていないのですが、会場いっぱいに法輪があって衆生を救っているのを知っていました。心の中で、「自分の世界の衆生が無条件で大法を受け入れるように。彼らが一切の良くない考えを起こさないように」と考えました。今思えばなんて自己中心的な発想でしょう。私は公演の数日前に、大法弟子の執着が衆生が救われない原因のひとつであることを悟りました。一人の大法弟子として、無数の衆生を救い、誰にでも責任を負わなければならないのに、当時の私はただ自分の世界のことだけを考えていました。このことを通して私は自分の自己中心的な執着を見つけました。

 師父の『北米での巡回説法』を学んで、大法弟子と衆生があんなにたくさんのことを乗り越えて、やっと今このときにこうして人間界で生きているので、簡単に滅ぼすわけにはいかないということを知りました。以前私が真相を話す際に真相を受け入れない人にあったとき、私は「救えないみたいだから、滅んでも仕方がない」といとも簡単にあきらめていました。師父がその生命のためにどれほどのことを尽くされたのかも考えず、私は一言であっさりと終わらせてしまいました。法を正す時期の終わりを待つまでもなく、現時点ですでに私は師父に会わせる顔がありません。

 師父は「衆生からのご挨拶に感謝」の中でこのようにおっしゃっています。「私の大法弟子が皆、圓満成就できるよう、心から期待しています! 世の人々が皆、真相がはっきりと分かり、歴史に定められた人類にとって最大の悪魔、邪党の中国人及び全世界に対する毒害、大法弟子に対する迫害をはっきりと認識し、この歴史上、衆生にとって最大の『劫難』を乗り越えることができるよう、心から期待しています。衆生が皆、救われることを心から期待しています!」 「希望」という二文字を見て私は震撼しました。師父の希望は天象であり、師父とともに法を正す弟子としてはただ無条件に円容しなければ、それを邪魔する作用を働かせてしまいます。

 公演が終わった後、ある人が、公演を受け入れない少数の常人がいるといいました。私はとてもびっくりしました。こんなに強大な場の中で救われない常人は一人もいないはずです。大法弟子の良くない観念さえもきれいに取り除くほどですから、常人はなおさらのはずです。それでは何が原因だったのでしょうか? 私は、大法弟子の観念が原因だと思います。

 師父は「観念」についてとてもはっきりと説法されています。観念は先天の自分ではありません。今も覚えていますが、第一回の公演のDVDが出たとき、私は心の落ち着きがありませんでした。同修に、常人は受け入れないのではないのかと話すと、彼らは笑いました。「あなたの世界の衆生は絶対に受け入れないでしょうね。だって彼らの王さえも受け入れないのですから。師父の法を心のどういう位置においているのですか? 師父とともに法を正す者さえも法を信じないのでは、まるで正しくないものが他人を正そうとしているみたいで、できるはずがありません。」彼らは私にこういいました。

 当時、私はとても恥ずかしく思いました。それから4年たった今日、この公演を生で見ていると、突然頭の中である一念が生じました。「観衆ははたして受け入れられるのか?」私がこの一念に対して、「笑い事だ」というと、それは一瞬で消え去りました。雑念がまったくない状態で公演を見ると、その神聖さを感じることができます。すべてのプログラムは常人を救うためのもので、それぞれの中に私は自分の次元の中で法理を悟り、良くない観念を正すことができました。たとえば、岳母が出てきたとき、岳飛と岳家の軍人たちはあんなに礼儀正しく彼女に接しました。

 それは観衆の尊敬する心を呼び起こすものです。私の場合、時々年配の同修に対して不平不満だらけで、尊敬とは程遠いものです。私は、人間として最低限年配の方を尊敬し、幼い者を愛さなければならないと分かりました。これは新しい宇宙の基準だと思います。私の一挙一動を思い返してみると、とても恥ずかしくなりました。

 私は女性らしくさえ振舞えませんでした。師父は説法で女性はやわらかく振舞うべきだとおっしゃいましたが、私は少しも師父のおっしゃったようにできていませんでした。師父のおっしゃることは一言一言すべて法であり、決してただの言葉だと思ってはいけません。かつて释迦牟尼佛の話した一言だけでひとつの修煉の法門が生まれ、無数の大覚者を生み出しました。それなのに私は全宇宙の主佛の法をちっとも相手にしていませんでした。今回の公演を見て、まるで師父が耳元で指導してくださったように多くのことを悟りました。私は、生命のこの上ない光栄を逃さずに、必ずはるか昔に結んだ誓いを果たしたいと思います。

 2007年2月9日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/1/29/147696.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/2/1/82227.html