煉功するときも師を敬わなければならない
文/山東泰安の大法弟子
(明慧日本)ずっと前からこの交流文を書きたかったが、さまざまな観念に妨害されて書けなかった。今日ここで私の考えを書き出してみんなと交流してみたいと思う。正しくないところはぜひ指摘してください。
まず私は明慧ネットを通して、この上なく偉大なる師父に新年のご挨拶を申し上げると共に、世界中の同修にも旧正月を祝う挨拶を送る。
以前私は煉功場で、ときおり一部の少数の同修が音楽を聞きながら煉功していると、例えば第三式の功法を煉功するときに、「沖」の動作をする同修もいれば、「灌」の動作をする同修もいた。また第四式を煉功するとき、腰を曲げる動作をする同修もいれば、腰を伸ばす動作をする同修もいた。いつも師父の録音の合図より早かったり、遅かったりしていることも、師父に対する不敬ではないかと私は思う。もちろん私たちの動作がちょっと早かったり遅かったりしても、内心では師父を尊敬していると思う。しかし煉功するときの動作と師父の録音の合図が一致していない。このように、集団で煉功の音楽を聞きながら煉功するときは、できるだけ師父の音楽の合図に合わせて煉功すべきだとわたしは思う。しかも集団で煉功するときは動きが一致すれば、整然とした感じもするし、法を広めることにも役立つのではないかと思う。
2007年2月17日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/2/15/148851.html)
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