自我を取り除き、全体で昇華する 文/日本の大法弟子
(明慧日本)私の個人と全体との間における関係についての私見をみなさんと交流したいと思う。私たち今日の修煉からすると、大法弟子は一つの全体でありながらも、すべての大法弟子は全体の中の一粒子に過ぎない。しかし大法のすばらしさは個々人の大法の粒子を通して示されているのである。このような意味において、すべての大法弟子がよくできているかどうかが非常に重要であり、直接により有効に衆生を救い済度することができるかどうかの問題と関わってくる。すべての同修がよく修めていれば、全体が現れる威力も大きくなり、衆生を救い済度する効果も上がる。同修がよく修めることができなければ、救い済度される機会を失う衆生が多くなることを意味する。
大法弟子が法を実証するすべての項目も一つの全体である。すべての項目はただ内容が違うだけで、項目自体に優劣の分別はない。私たち全力でよく実行すべきであり、自分から項目に優劣をつけるべきではない。私たちのメディアから言えば、同じく一つの全体でありながらも、必要性からテレビ、新聞、ラジオに分けているが、目的はすべて同じく衆生を救い済度するためにある。私個人もことなるメディアに対して分別心を持っていた時期があった。自分の関わっているメディアこそが最も重要であると考え、自己満足していた。たとえ周りに非常に重要な項目があり、協力を必要としても、私は自分の項目のほうが重要だという口実で、協力しなかった。そのため自分の法を正す修煉に損失をもたらしてしまったのである。
師父は『転法輪』第一章の中で、「この宇宙で、人間の生命は常人社会の中で生じたものではない、とわれわれは見ています。人間の本当の生命は宇宙空間で生じたものです。この宇宙には生命を造るさまざまな物質がたくさん存在しており、これらの物質が互いに働き合うことによって、生命が誕生します。つまり、人間の最初の生命は宇宙に起源を持つということです。真・善・忍という特性を持った宇宙空間は本源的に善良なものであり、人間も生まれた時は、宇宙と同じ特性を持っています。しかし、生命体が多くなると、その集団に社会的な関係ができてきます。その中の一部の人が、利己的になっていったために、次第に自分の次元を下げ、ついに自分のいる次元にいられなくなり、それより低い次元へ堕ちていきました。ところが、つぎの次元においても、まただんだん悪くなり、そこにもいられなくなって、下へ下へと堕ち、最後には人類という次元まで堕ちて来たわけです。」と説法なさっていた。
このように、私心こそが旧宇宙の高次元から低次元まで貫かれた最も悪いものであり、すべての執着の根源である。自分の執着の所在に気づき、考えの中でそれを排除しようとして正念を発しようとしたら、私心が本当に弱くなり、しかも師父が絶えず他空間でこの私心の執着を取り除いてくださっていることが分かり、そして修煉のすばらしさを感じる。今、私は大多数の場合では、まず他人のことを考えることができるようになり、しかも自分の変化が非常に大きく、分別する心も消え、自ら進んで他の項目と協力することができるようになった。一部の項目には参加できなくても、正念で支持することができた。
ほとんどの海外の大法弟子は能力が非常に強いことは否めない。だが私心が隔たる作用をして、潜在意識の中でも自分ひとりを強調し、他人と協調したがらない面がある。そのため全体的に損失をもたらすことになり、衆生を救い済度することを妨害してしまう。実はしっかり考えてみれば分かることだが、個々人の修煉者の能力はすべて大法から賦与されたものであり、衆生を救い済度することや大法と比べたら取るに足りないものである。私たちは最も深いところからこの私心を取り除き、宇宙大法の真善忍に同化するように精進すべきである。全体で昇華し、全体で向上する。真に金剛不動な全体を形成し、旧勢力のすべてを瓦解させ、最大限に衆生を救い済度し、師父の弟子の名にふさわしくなるようにすべきである。
個人の考えに過ぎず、間違いがあればぜひ指摘してください。
2007年2月18日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/2/1/148021.html)
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