発正念についてのちょっとした認識 文/吉林大法弟子
(明慧日本)私は以前、発正念についての認識が正しくなく、座禅を組むといつも、強大な憎しみと強烈な報復心、闘争心で臨みましたので、結果的に心が落ち着かず、いつも本題からずれてしまい、雑念でいっぱいでした。その後は、ただ形式上で発正念時間が終わるのを待つ程度のものになりました。甚だしきに至っては、自分には正念がないので、発しても作用がないとまで思い、徐々に発正念の回数を減らしました。さらに、全世界一斉発正念の時でもお茶を濁すように心が入らず、掌を立ててもすぐ倒れました。蓮華手印の時も両手がくっついてしまいました。実は、邪悪は少しずつ少しずつ学習者を引っ張り落とそうと企んでいるので、徐々にあなたのすべての正念をなくし、最後にそれらの目的に達しようとするのです。
ある日突然、邪悪に不法逮捕され、その迫害の中で私は強大な正念を発して私に迫害を加えているすべての邪悪を解体させました。しかし、表面の情勢には少しの抑制作用もありませんでした。この時、私は絶えず法を暗記し、絶えず自分の発正念の時の心の状態を調整しました。しかし、邪悪は依然として凶悪でした。鼻に辛子の水を強制的に注ぎ込む、資料の出所や強調人と同修たちのことを自供するよう強いられるなど、残酷な迫害を受けました。当時、私は心の中で、決して大法弟子としてすべきではないことを絶対にしないと、一つの念をずっと持ち続け、確固たる信念を持って邪悪の要求に協力しませんでした。
朝の8時半から午後の2時までずっと、彼らに真相説明を行っても耳を傾けてくれませんでした。この迫害はいつまで続くのだろうと、心の中で大きな重圧を感じました。邪悪は私に、もし、自供しないと終わらないぞと、脅かしました。しかし、当時、私は自分のどこに執着があるのか、どこに漏れがあったのか、なぜ逮捕されたのか、どのような心によって促成されたものか、内に向かって探すことができませんでした。体は益々持たなくなり、後ろにひねって縛り付けた手は、もともと我慢し難いものですが、更に縛った手を上に上げてから突然下へ引き落とされ、骨がまるで切り刻まれているような激痛でした。
私は心で絶えず師父の助けを求めながら、同時に絶えず正念を発し、法を暗記しました。普段法をたくさん暗記したおかげで、師父の『大法は金剛不壊である』と『最後の執着を切り捨てる』を思い出し、これらの迫害に自分を任せるべきではないと認識することができました。やはり、自分自身の恐怖心によってもたらされて迫害されたものであり、すべてを必ず師父のご教示通りに行わなければなりませんでした。
そして、私は目を閉じて心を据えて、まるで自分の身に何事も起きなかったかのようにしました。それによって、緊張していた体のすべての神経がほぐれていき、何もなくなりました。当時、肉体上での表れとして昏睡状態のようでしたが、精神的にはしっかりしていました。このとき、ある邪悪が、「装うなんていつまでやる気か。俺らには時間がいくらでもある、お前ら法輪功は死んでも誰も知らんし、誰もかまわないさ」と、ぬけぬけと言いました。そして、2階に行ってほうきを持って来て、私の鼻や耳に無理やり差し込みました。私は微動もせず、痛さも感じませんでした。このとき、かかっていた手錠が開きました。手を上下に動かしてみても痛くありませんでした。悪警官らのリーダーが私を下ろすように部下に命令し、足かせと体中のすべての錠を全部あけました。
正念が強ければ結果はついてくるものです。邪悪らは、すぐ私に対する迫害をやめました。私は、師父がすぐ私のそばにいて、私を守り、保護して下さっているのだと実感することができました。法理を悟って、確固たる信念で心が動じなければ、一切の魔難は師父が解決してくださるのです。
同時に、私は迫害の期間中、大法弟子として絶えず正念を発し、ネット上で邪悪を暴露し電話での真相説明を行いました。私の3人の妹たち(同修)は、公安局、派出所、「610」、支局、町内、刑事隊、司法局などありとあらゆる所にいって、釈放するように要求しました。関連部門を尋ねるときは、まず、必ず家で正念を発したと言います。同時に、真相説明を行います。時には一日何軒ものところを尋ねました。その後、ある事案処理係の警察官が私の妻に、「お願いしますが、私のところに電話をしないように法輪功の人に伝えてください。私には電話代を支払うことができないし、彼らを逮捕したのも私ではありません。法輪功に暴力を加えたこともありません。私は法輪功が悪くないことを知っていますから……」と、話しました。この警察官は真相を知るようになり、悪事を働くようなことをしませんでした。
このように、私は逮捕されて21日目に家に戻ってきました。十数日後には、体も正常に回復し、恩師の慈悲に感謝致します。
私たちは多く法を勉強し、絶えず内に向かって探さなければなりません。何故、私の正念が邪悪を解体することができず、神通が現れないのでしょうか?なぜ、標準に達することができないのでしょうか? なぜ、私の手はいつも倒れるのでしょうか? 師父が言われているやるべき三つのこと、果たしてこれらは重要ではないのでしょうか? なぜ、よく行なうことができないのでしょうか? 正しく行い、絶対に手を倒さないと私は心で決めました。これをやり遂げることができれば、邪悪は自然に自滅し、魔難の中で大法弟子に対する迫害も軽減できるのです。認識を明確にしてから私は、正念を発する時、絶えずすべての良くないものを切り捨てました。十分な正念によって手は倒れなくなり、とてもよく行うことができました。
最近、私は一部の学習者たちが正念を発する時、手が倒れたり、うとうとと眠ったり、蓮花手印の両手がくっ付いてしまうなどといった現象をよく目にすることがあります。手が倒れてしばらく経っても気付くことができず、また、畑仕事に疲れた農村部の同修たちは、正念を発するとすぐ眠ってしまい、目が覚めると発正念時間が過ぎ去った後です。ある同修は、座禅して手印を結び、それから手を立てようとして時計をみたら、なんとすでに6時20分になったというのです。果たしてこれで大丈夫なのでしょうか?
交流の時、法理上ではわかったつもりですが、実践できません。これらのことを見て私は、自分の過去の体験を説明しました。私たちに存在している切り捨てられていないすべての執着心を全部探し出して、それらすべてを切り捨てるべきです。これ以上師父に心配をかけてはいけないと思います。正法時期の大法弟子としてその名称に遜色のない行いをすべきです。目覚めてください!さもなければ、自分自身の空間を整理することができないだけでなく、さらに、他の同修たちにまで妨害を与え、甚だしきいたっては、魔難の中で迫害を受けている法輪功学習者たちを救出することは、なおさら難しいのです。
個人の浅い認識で悟性の限界があり、不適切なところは慈悲のご指摘をお願いします。
2007年2月21日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/11/18/142615.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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