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中国科学院の研究生・洪偉さんは、刑務所で重い労役による迫害に遭っている(写真)

(明慧日本)明慧ネットは2003年3月22日に北京大学の卒業生で、中国科学院の研究生である洪偉さんが迫害されたことについて報道した。当時、洪偉さんは連行された後、1年あまり勾留され、2003年の夏に密かに10年の刑を言い渡され、不法に重刑第一刑務所に監禁された。聞くところによると、洪偉さんは刑務所で労役を強いられ、その労働量は非常に大きいという。

洪偉さん

 洪偉さんが不法に判決された後、警官は常に彼の自宅を掻き乱しに訪れ、電話も盗聴されて、家族は長い間、恐怖の中で生活していた。聞くところによると、洪偉さんが迫害されて2、3年後、洪偉さんの修煉していない1人の友人が洪偉さんの自宅に電話をかけ、洪偉さんの近況について尋ねたところ、その直後、この友人の自宅の電話とネットワークがすぐ切られ、半月後やっと繋いでくれたという。この友人は非常に驚き、今思い出しても、胸がなおどきどきするという。

 重慶の同修らが洪偉さんの情況に注目するように望みます。また洪偉さんと彼の家族に「洪偉さん、私たちはあなたが一日も早く魔窟から出られることを待ち望んでいます」と私達の関心を伝えてください。

 洪偉さんの経歴と受けた迫害情況

 洪偉さんは1998年の北京大学卒業生。中国科学院微生物所の研究生で、重慶市璧山県に住んでいた。洪偉さんは1994年に法輪功を修煉し始め、学校では同級生が公認する良い人だった。1998年に、洪偉さんは北京大学卒業後、中国科学院微生物所へ推薦された。

 1999年7月20日以降、洪偉さんは法輪大法に対する信仰を堅持したため、何回も連行され、不法に監禁、洗脳され、邪悪な輩たちのブラックリストに載せられた。2000年1月、洪偉さんは中国科学院により強制的に故郷へ送られて休学させられた。復学後、中国科学院微生物所は前後2回、洪偉さんの父親を四川から北京へ呼び出し、洪偉さんに圧力を加えた。

 洪偉さんは幼いときに母親が亡くなっており、父親は疲れて病気になって倒れた。2000年10月、洪偉さんはまた再び強制的に休学させられた。その後、洪偉さんは邪悪な警官の付きまといから抜け出すために、仕方なく路頭に迷うようになった。2001年末から2002年まで(具体的な日付けは不明)の間に不幸にも捕まり、1年あまり勾留された後、密かに10年の刑を言い渡され、現在重慶刑務所に監禁されている。

 2007年2月22日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/2/12/148794.html