師父の新経文「再び政治を論ずる」についての認識
文/大陸の大法弟子
(明慧日本)師父の新経文「再び政治を論ずる」を読んでから、明慧ネットを通して同修たちと一緒に自分の考えを分かち合いたいと思う。
まず、私達大法弟子は、修煉者の角度から経文を理解すべきである。まさに常人が私達を宗教とみなすように、私達もはっきりと自分たちが大法の修煉であって宗教ではないことについてはっきりと認識しなければならない。特に、政治という問題について、常人たちは私達が政治に参与していると思っていても、私達は衆生を救い済度していると認識しなければならない。大法弟子たちが政治に参与していると常人が思っていても別に関係ないが、ただ常人は、はっきりと「迫害」と「政治に参与している」のうちいずれかをより譴責すべきなのかを認識しなければならない。
次に、一部の大法弟子は政治についてはっきり認識しておらず、私達が本当に政治に参与していると思っているようだが、私達は、衆生を救い済度しているのであって、もしこのことも政治であるとするならば、このような政治は人間に何の害悪もないとするならば、どうして参与してはならないのだろうか。つまり、私達ははっきりと真相を伝え、衆生を救い済度すること自体が間違っていないことを理解し、そして政治に参与しているという理由で迫害されてはならないことを認識しなければならない。政治は邪悪のために用意されたものではないからである。
個人の認識にすぎないので、間違いがあれば指摘してください。
2007年3月4日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/3/3/150058.html)
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