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真に心を静めて法を勉強すべき


 文/ハルピン大法弟子 長安

(明慧日本)師父は、最近の経文『オーストラリア法会へ』の中で「法の勉強は形式的なものになってはならず、精神を集中して勉強し、本当に自分が勉強するようにしなければなりません」と、再び私たちに学法の重要性を強調されました。実際、良く法の勉強を行うためには、まず、必ず心を静めて法を勉強しなければなりません。地元の同修たちと交流を行った時もみな同感でした。

 毎日一定の時間を法の勉強に当てることは、それほど難しいことではありませんが、如何に限られた時間に、真に心を静めて法の勉強をやり遂げ、確実に学法の効果を得られるかが、最も肝心なことです。時には、学法の時間も長くし、たくさんの量の学法をしましたが、心性の向上と得られる効果は比較的小さかったのです。その本当の原因は、心を静めて真に法の勉強を行なっていなかったからです。

 私は大法修煉を始めて以来、毎日限られた時間内に法の勉強を行い、学法の量を無理して強化しようとせず、心を静めて本当の学法の状態と効果を重んじてきました。法を通読する時は、主に読むスピードをゆっくりして一心不乱に心を静めて進めました。時には、とても忙しくて充分な学法時間が得られない時(例えば、一時間)でも、量にこだわることなく、心を静めて法を勉強することを絶対の前提として、最大限に心を静めて法の勉強を行い良い状態と効果に達する努力をしてきました。

 『転法輪』を通読する時の例を挙げたいと思いますが、例で挙げた一時間内に私は、章の半分あるいは更に少ない量の勉強しかできないにしても、はっきりとした意識と明白な状態の下で本当の自我がいま法の勉強をしているのだという境地に達する努力をしました。心を静めて法を学んでいると、大法の果てしない内涵は、常に私を悟らせ、法の異なる次元の異なる理解と認識によって絶えず昇華しました。同時に、私は心を静めて法を勉強してこそ、学法の神聖さと美妙な境地に達することができると、認識するようになりました。

 下記により、私は心を静めての学法についての理解をみなさんと交流したいと思います。

 一、尊敬の心を持ってこそ、心を静めて真に法を勉強する境地に達することができる

 私は、まず、尊敬の心を持ってこそ、心を静めて真に法を勉強する境地に達することができると、悟りました。心を静めて法を勉強することは、ただ学法に対する状態の問題ではなく、先生を尊敬し法を敬うという昇華した心性の問題にかかわっています。「他の方面から言えば、学法をする時、心が法の中におらず、これはただ形式上での問題ではなく、実際、法を勉強するものが法に対してあまり尊敬していないことに等しいのです。それでは、法の力が現れることができるのでしょうか」(『米国フロリダ法会での説法』)と、述べられました。 私たちが学んでいる法は、師父が自ら説かれた法であり、私たちが法を勉強する時、思想が法の中になければ、それはただの法に対する不敬ということだけではなく、実際は師父に対してあまり尊敬しないということになります。

 また、同修と交流するとき、師父の法を正確に引用することができないということです。特に「師父のお話ですが」の後ろに自分の言葉を加える時、自分の言葉を師父の言葉として言ってしまったりする場合です。表面上で、これらのことは無意識のようですが、しかし、師と法に対して尊敬しているか否かの問題を暴露しています。実のところ、もし、私たちが1文字たりとも間違うことなく師父の経文を引用することが保障できない場合、法に対する自分の認識と悟りを述べるなどの交流の形式は、問題がないと思います。

 二、法の勉強は主意識を修煉する過程である

 師父は『米国フロリダ州での説法』の中で「目は法を見ていても、考えが法の上に無ければ、皆さん考えてみてください、それは読んでも無駄ではありませんか? 誰のために読むのでしょうか? 自分は学んでいないでしょう? 本当に自分自身が功を得るようにとわたしは皆さんに教えたのではありませんか? もし法を学ぶときに考えが法になければ、誰のために法を学ぶのでしょうか?」と、説かれました。私たちの法輪大法修煉は、主意識を修煉するのであって、つまり、主意識が功を得るのです。ですから、私たちは煉功の時、自分が煉功しているということをしっかり意識していなければならないだけではなく、法を学ぶ時も明白に自分が法を勉強しているということを意識していなければなりません。法を勉強している時、最高に主意識を集中できるか否かは、私たちが心を静めて法の勉強を成し遂げることができるか否かを決定します。

 師父は、早い時期に『円満に向って』の中で、すでに私たちに「あなたたちが本を読んでいる時、考えの中で良くないものを思いめぐらすと、本の中の無数の佛、道、神は、あなたの可笑しくて可愛そうな考えをみています。考えの中の業力が嫌らしくあなたを制御し、あなたが執着の中で悟らないのをみています」と、説かれました。

 実際、私たちは法を勉強する過程の中で現れる、うわの空になる、妄想にふけるなどは、私たちの各種の執着心と後天の観念と思想業力などの要素により大脳が妨害され、それらが私たちの主意識を妨害しているのです。これらの妨害の根源は、私たち自身の旧宇宙の後天的要素により生成されたものであり、私たちは法の勉強の過程の中でそれらを否定するだけではなく、強い主意識(本当の自我)を持ってそれらを排斥、抑制しなければなりません。なぜなら、「認められない強制的な」旧勢力の妨害は許されないものですからです。ですから、それらを取り除き、抑制する過程は、すなわち、自ら積極的にそれらを取り除く過程であり、主意識を高める過程でもあります。

 もし、法の勉強の中で主意識がはっきりしていなければ、強い主意識を持って私たちの大脳を制御できず、それでは、それらの後天的な執着と観念が隙に乗じて私たちの大脳を妨害するのです。それによって私たちは、心を静めて法の勉強をすることができなくなります。

 邪悪が世の中の悪人を操縦して私たちを妨害し、迫害する時、法を実証して衆生を救い済度すると同時に、正念を持って邪悪を否定し、邪悪を取り除くべきであるとわかっていれば、このような時は、つまり、私たちの主意識が確固たるものであり、とても明晰であることを表しています。これと同じ理屈なのですが、私たちが法を勉強する時、現れる後天的な観念と思想業力の大脳に対する妨害は、実際のところ、それはとても厳しい妨害であり、ただ妨害の形式と現れの形式が変化しただけです。修煉の中で常人のすべての要素は、私たちが常人の次元から抜け出て神になるのを邪魔し妨害します。学法の時、もたらされる自身の旧宇宙の後天的要素の妨害は、外部の邪悪からの邪魔と妨害と同様に対応すべきです。私たちは、しっかりとした主意識をもって世の中の現れの形式とその背後の本質を見極め、同時にそれらを抑制し、排除しなければなりません。これは、つまり、私たち自身の全体の昇華と全体の向上の現れです。

 師父は幾度となく私たちに「修は己にありて、功は師にあり」と、説かれました。私たちが法を勉強する時、真に心を静めて法を勉強することができれば、このようなベストな学法の状態の過程こそ、「修は己にありて」の体現です。また、私たちがまず、心を静めて法を勉強すると、一文字一文字の背後にある師父の法身が高い次元の法理を私たちに悟らせ、この悟っていく過程こそが「功は師にあり」の体現なのです。これは、私が「修は己にありて、功は師にあり」の心を静めて法を勉強する面において得られた理解です。

 三、学法の過程は衆生を救い済度する過程でもある

 師父は『北米での巡回説法』の中で私たちに、大法弟子は自分が代表している宇宙天体と対応しているという法を説かれました。私は、私たちが法を勉強する過程の中で、大法に対する理解と認識が絶えず昇華するにつれて、私たちの後天的な執着と観念およびすべての変異したもの、大法の思想に符合していないものが、絶えず大法によって正されて、取り除かれます(除去)。この過程は、つまり私たちの心性が向上していく過程でもあります。大法修煉は、生命双修の功法なので、心性の向上に伴って私たちの体の一部は高エネルギー物質に取って代わられ、同時に、私たちが対応している天体の中で高エネルギー物質に転化した身体と対応した天体は、大法に同化されて新宇宙になり、そして、この新宇宙の中の衆生も同化されて新宇宙の生命になります。修煉の中で私たちには、まだ一部の執着が根本から取り除かれておらず、この体と対応している天体に影響をして、その天体にいる衆生は同化できなくなります。

 旧宇宙の理は、大法弟子の修煉と衆生の救い済度を束縛し妨害しようとします。しかし、わたしたちが対応している天体の中で、まだ新宇宙に同化されていない衆生は、つまり、まだ旧宇宙の生命なのです。旧宇宙の生命は、旧宇宙の理に従って行わなければなりません。ですから、これらの私たち自身が対応している旧宇宙の生命は、私たちの法を実証することと衆生を救い済度することを妨害するのです。言い換えれば、彼らを同化できず、救い済度できなかった原因は、私たちの執着心によってもたらされたものです。師父の説法の通り、「あなたが多くの執着を切り捨てなければ、彼らを妨害し、逆に彼らがまたあなたを妨害するのです」。(『北米での巡回説法』)

 学法の過程の中で法に対する私たちの理解と認識が絶えず昇華するにつれて、私たちが対応している天体の衆生も絶えず、新宇宙の生命の衆生に同化され、これらの新宇宙の生命は大法の基準に基づいて(即ち新宇宙の標準)行います。ですから、彼らは最大限に私たちが法を実証することと衆生を救い済度することを助けてくれるのです。

 四、心を静めて法を勉強する神聖さの体験

 「なぜなら、私たちのこの功法は、法が人を煉る功法だからです。法が人を煉る功法は、つまり、一部の状態は功の中から、法の中から現れます。煉功の過程の中で異なる次元に異なる状態が現れるのです(『転法輪』第7講)。ですから、私は心を静めて法を勉強し、そして異なる次元の異なる大法の内涵を認識すると同時に、身をもって神聖で美妙な学法状態を体験することができました。法の勉強をする時、私はいつも自分が大法のエネルギー場の中に包まれて、自分の思惟と大脳の容量が絶えず宇宙のさらに高い境地に向かって昇華し拡大しているのを感じました。このような果てしない大法の内涵の中で感じる神聖さと美妙な感じは、なかなか言葉で表現することができません。

 時には静かに法の勉強をしていると、考えが静かになるにつれて、自分の周りのすべてが静止状態になり、すべてが存在しなくなり、完全に時間の概念がなくなっていると感じました。まさしく、自分が完全に大法の果てしない知恵と永久の威厳の中に溶け込んでいるようです。この時の感覚は、煉功のとき入静したとき感じるものよりも神聖で美妙なものでした。まさしく「美妙極まり尽くして語に訴難し」(『洪吟』<法輪世界>)です。これらの根源は大法であり、心身ともに真の学法状態になった時、私はさらに悟ることができました。

 心を静めて法の勉強をする中で宇宙大法の円融と聡明で博大な内涵を悟ることができるということは、正法時期の大法弟子にとって本当にこの上ない栄耀なのです。私たちは法の中で昇華し向上を成し遂げる度に、それは言うまでもなくすべてが師父の慈悲の体現なのです。

 結びの言葉

 心を静めて法の勉強をする状態に達したいのなら、まず、やるべき三つのことの中の発正念と真相説明を怠けることなく、良く行わなければなりません。この三者は、互いに促進し、互いに影響し合っています。例えば、私たちが正常な睡眠を確保した状態の下で、法を勉強している時、眠くてぼうーっとなるとすれば、このような現象は、とても深刻な妨害なのです。私たちは直ちに掌を立てて正念を発して睡魔と疲れを装って私たちの学法を妨害するすべての邪悪の要素を取り除かなければなりません。発正念を通じて私たち自身に存在する問題と外来の妨害を取り除くことによって、学法の効果と質は向上できるはずです。同様に、法の勉強も良くでき、それによって正念も強化され、発正念の威力も益々強くなります。良く法の勉強をすれば、真相を説明する際に理性的になり、正念と知恵が益々強くなります。このような状態の中では妨害もすくなくなり、効果も良いのです。逆に言えば、真相説明の中で困惑と問題にぶつかった時でも、その後しっかり法の勉強を行っていれば、師父は必ず法を通じて私たちを悟らせ、問題を解決してくださるのです。

 心を静めて法を勉強することと、内に向かって探すことを合わせて求めなければなりません。「私たちは、往々にして如何なる問題に遭遇しようと、みな外に向かって探しています。なぜ、私をこのように扱っているのかと内心で一種の不公平を感じ、自分の中で探しません。これがつまり、すべての生命の最大で、致命的な障害なのです」(『シンガポール法会での説法』)。

 旧宇宙のすべての生命が共同に持っている巨大な変異した要素は、周りを変えようとするだけで、自分自身を変えようとしません。私たち大法弟子も、法を得る前には旧宇宙の生命で、私たちが更新した生命は、師父について正法を行い真相説明と衆生を救い済度する中で形成されるのです。ですから、私たちは真相を説明する中でどんな場所でも、どんな時でも、外部の環境が厳しかろうがそうでなかろうが、無条件で内に向かって原因を探さなければなりません。

 邪悪が如何に凶悪であろうとも、もし私たち自身に問題がなく、漏れがなければ、邪悪は迫害を恐れるので(この点については旧宇宙の理でこのように認識している)、勇気を持って大法に同化しようとする正のものを妨害するすべての執着心と後天的に形成された観念を直視すべきです。ある同修は問題に遭遇すると、どのように内に向かって探せば良いのか分からず、または探しても原因がわからない状況ですが、実のところ、それは心を静めての学法が足りないことに原因があります。なぜなら、私たちのすべての正念と正行の根源は大法だからです。

 すべての大法弟子が共に正法時期の大法弟子として、この宇宙で永遠に二度と現れることのない千古の機会を大事にして、師父の教えを肝に銘じて心を静めてよく法の勉強を行うよう努めて行きたいと思います。

 上記は個人的な体験であり、正しくないところがございましたら、同修たちの慈悲の指摘をお願いします。

 合十

 2007年3月11日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/12/22/145216.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/1/27/82070.html