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遼寧省凌源市の法輪功学習者・馬孝さんは迫害により死亡

(明慧日本)2007年1月1日、迫害を受け尽くして身体を痛めつけられた遼寧省凌源市の法輪功学習者・馬孝さんは労働教養所で受けた迫害により血を吐くようになり、何回も血を吐いた後、冤罪が晴れないままこの世を去った。これは江沢民と中共悪党が法輪功学習者を迫害した、また一つの犯罪証拠でもある。

 法輪功学習者・馬孝さん(59歳男性)は凌源市凌北鎮凌北村三官テン子4組の農民だった。1996年に大法を修煉し始めてから、身体が健康になり、しかも常に煉功者の基準で物事に対処し、遠くまで名が知られた善い人だった。

 1999年7月20日に中共邪党が法輪功を迫害し始めて以来、馬孝さんは何回も凌北派出所の悪辣な警察に連行された。2001年に不法に3年の刑に処せされ、瀋陽第三刑務所及び瀋陽市馬三家第二刑務所でまるまる3年間迫害を受けた。

 2005年6月、遼寧省凌源市凌北郷に脱党のスローガンが貼られた。凌北派出所の警官は誰が書いたかと尋ねた。ある悪人の1人が、ここでは馬孝さんが有名だと言った。それを聞き、凌北派出所は馬孝さんを逮捕しに家に行ったが、その時、馬孝さんは不在だった。6月30日、馬孝さんが市へ行く際に、途中でちょうど凌北派出所の警官に出会った。邪悪な警官らは白日の下、土地の悪党のように馬孝さんを連行して、パトカーに押入れ、不法に留置場に監禁した。

 2005年6月30日に凌北派出所の李興海などの悪辣な警官に連行された法輪功学習者・馬孝さんは、不法に3年の労働教養を言い渡された。朝陽西大営子労働教養所で馬孝さんは迫害により血を吐き、危篤状態に陥った。労働教養所は責任を負うことを恐れて、2006年2月に馬孝さんを自宅まで送って来た。それ以後も馬孝さんはずっと身体の状態が良くなく、2007年1月1日に冤罪が晴れないままこの世を去った。

 2007年3月12日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/3/12/150639.html