煉功についての交流 文/湖北大法弟子
(明慧日本)数日前、他の学習者と交流したとき、1999年7月20日以降あまり煉功していない学習者がいることを知り、驚きました。大陸の学習者の中に煉功しない人がまだいると思いますが、このことについて個人の認識を述べたいと思います。
法を正すことはすでに最後の最後まできています。最後になればなるほど、私たちに対する要求は厳しくなり、道も狭くなり一歩一歩を正しくしっかり歩むことは極めて重要なこととなりました。自らを厳しく律し、法をよく勉強し、しっかり煉功することはすべての基本であり、このようにしてはじめて、良い正念を発することができ、真相をきちんと説明し、法がこの世を正すその日までしっかり師父に手伝って法を正すことができます。師父は法の中で「法輪大法も性命双修の功法であり、煉功するのに動作が必要です」(『転法輪』)と説かれています。私たちは修めることと煉功を両方しなければならず、いずれが欠けてもだめで、いい加減にしてもいけません。簡単なことのように見えますが、精進しているかどうかはその中から現れます。長く煉功していなければ、ますます煉功したくなくなり、法を勉強する時眠くなり、身体の疲れも取れません。徐々に安逸を求める心が強くなり、法の勉強に身が入らなくなり、正念を発するとき寝てしまったりして、状態がだんだん悪くなります。
人間の観念が障碍となり、私たちが法に同化することを阻む壁でもあるということをはっきりと認識しなければなりません。主意識が強くなければ、観念に打ちのめされてしまいます。私たちの神の一面はそれを抑制し、取り除かなければなりません。少しでも油断すると、余裕のある生活を送り、怠惰と安逸の心が生じてしまいます。私たちはみな、師父の弟子であり、同じ法を学んでいます。
多くの学習者は邪悪な刑務所でひどく迫害されている中で、煉功の権利を求めるために、警官に暴行され、中には肉体を失った学習者さえいます。資料センターを運営している学習者は、衆生を救い済度するために、寝る時間を惜しんでも法の勉強と煉功を怠っていません。また、新しい学習者は法を得たその日から毎日欠かさずに煉功し、法を学び、正念を発しています。比べてみれば、差は歴然としています
師父は『大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説』の中で「皆さんの中の一部の人はどうしてできないのでしょうか? 師父はあなたを見て本当に焦っています! 師父はあなたを見て本当に焦っています! 師父の今日の話は強く聞こえるかもしれませんが、私は重い錘を使わないともうだめかもしれません。私があなたを救うことができなければ、私にとってそれは最も残念なことです! あなたも私のように焦ってくれれば・・・」と説かれています。
私の以上の話が毎日煉功していない学習者を目覚めさせることができればと思っています。本当に「最後になればなるほど精進できる」ようになり、師父にこれ以上心配を掛けないようにしましょう。
初めて書いた文章なので、文章として通じないところもあるかと思いますが、ぜひご指摘ください。
2007年3月14日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/3/12/150620.html)
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