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経文「三界内の法を正すことを妨害することに参与したすべての乱神を全面的に解体せよ」を勉強した後の悟り


 文/カナダ・トロントの大法弟子

(明慧日本)師父の新しい経文「三界内の法を正すことを妨害することに参与したすべての乱神を全面的に解体せよ」が発表された後、学習者と交流し、この経文の発表は法を正す進展がまた一歩前に推し進められたことを意味しているという認識に至った。以前、過ちを正す機会を与えられたそれらの乱神はこれで、選択の機会を失った。これらの神はこの世の数大宗教を管理している神であるため、正神の形象をしているはずだが、それらは宇宙の主に「乱神」として決められ、全面的に解体されてしまう。

 実はこれは大法弟子の人心に対する大きな試練であり、師父に対する私たちの信念、大法に対する理解と自分自身の修煉がしっかりしているかどうかに対する検査である。実は、師父は『転法輪』の中ですでに、人々が正教を信仰することを妨害しているのはすべて、邪教であり、人を害していなくても邪教であるとはっきり説かれている。しかも、現在の宗教は人々が大法を信じることを直接、阻んでおり、それらの乱神は師父の説法をずっと聞いているが、自分の固定観念と認識を頑として変えようとせず、結局壊滅される羽目になった。

 この世の今のすべては大法弟子が法を実証し、衆生を救い済度するために存在しており、大法弟子の心によってもたらされたのだと師父は説かれたことがある。もし、師父が自ら行うと、これらの乱神はきっと一瞬にして全滅してしまうだろう。だが、なぜ大法弟子が正念を発して根絶するようにとおっしゃったのだろうか? この中にきっと私たちが高めなければならない認識と修煉の部分があると思う。私の理解だと、私たちは正念をもってこのことに対処する過程で、このような慈悲深い正念を修めなければならない。

 ここである非常に重要な問題が出された。これらの古いものを全面的に解体した後、人間の考えは空っぽになり、彼らは困惑してしまい、捜し求め始めるに違いない。このとき、私たちは将来彼らが法を得られるための基礎を築くため、どのように純粋で正しい文化、大法が人類のために切り開いた新しい文化を人間に示し、彼らの考えに新しい文化を入れるのだろうか。私個人の悟りだと、師父が自ら指揮を取った新年祝賀祭が方向を示してくれた。私たちは古い文化、古い宗教の説法を踏襲しているのではなく、大法弟子が悟った宇宙の真実を全面的に新しい文化に創造しているのである。

 例えば、伝統文化の中で説かれている忠、孝、節、義は私たちも口にしているが、その意味合いは現代人にとって新しいものであり、この次元の生命の行動を律しているのではなく、修煉、生命の返本帰真の理をその意味合いに与えるのである。そのため、私たち大法弟子は今まで以上に神の状態で衆生および自分自身と、修煉に対処しなければならない。自らを放下し、法の角度から学習者の作品を見、大法弟子が運営するマスコミを利用し、師父に導かれて、大法弟子が創造した新しい文化を全世界に広めるべきである。明慧ネットが編集した『修』と『煉』という作品に対して、私たちはどのような態度でそれを認識し、広めるのか、これは私たちの古い観念、常人の観念、固まった観念を突破する過程であり、非常に厳粛なことである。

 師父は経文の中で、それらの乱神は固有観念を放棄しないため、最終的に淘汰されてしまうと説かれている。修煉している人の変化しない観念と放棄しない執着は同様に師父が法を正すことを妨害すると悟った。法に同化できない部分は同様に淘汰されてしまい、修煉はこの上なく厳粛なことである。これは新しい経文を勉強するとき、非常に強く感じたことである。

 以上は新しい経文を勉強したときのわずかな悟りであり、正しくないところがあれば、ご指摘ください。

 2007年3月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/3/13/150626.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/3/17/83599.html