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学習者の褒め称えから生まれた顕示心


 文/大陸大法弟子

(明慧日本) 修煉を始めて以来、他の学習者からよく褒められている。私に会ったほとんどの学習者は私の「悟性が良い」、「根基が良い」、「三つのことを積極的に行っている」などと褒めてくれる。

 最初、歓喜心や顕示心をまだ抑えることができ、「これは師父が与えてくださった智慧だ」と答えていた。「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)、師父は私たちの心のみを見ておられる。私たちは自分で何もすることができず、それをしたいという願いがあるのみで、本当にやってくださるのは私たちの慈悲深くて偉大な師父である。

 良くない心が現れると、私は師父の法で自分を正している。しかし、これらの良くない心はやはり自ずと出てくる。褒め言葉も後を絶たない。私に直接言う人もいれば、他の人に言う人もいる。しかし、これらの言葉は毒薬のように私の身体に浸み込んで、歓喜心や顕示心がますます強くなり、強烈になってきた。私が口にしたすべての話、行なったすべてのこと、すべての念にこれらの汚い心があり、しかも頻繁に現れてきて、私の中で自然なことになっている。これらの心が山のごとく大きくても、少しずつ取り除いていくと誓ったが、意識していないと、本当にその心に気づかない。しかし、まさに師父がおっしゃったように、「どれだけ苦を嘗めたらはじめてそれを白い物質に転化することができると思いますか? とても難しいのです」(『転法輪』)。本当に自分に余計な厄介なことをもたらしてしまい、人為的に難を増やしてしまったのである。

 従って、学習者を軽々しく褒めないほうがいいと思う。この人もあの人も褒めたりすると、時間が長くなるにつれ、その学習者に歓喜心、顕示心が表れ、気をつけないと、強くなってしまい、何をしても自分を顕示したくなり、魔に利用されやすい。多くの学習者は他の人に褒められて、落ちてしまったのではないか? その褒め言葉は彼らを助けたのだろうか、それとも害しているのだろうか?

 口を修め、あまり頻繁に学習者を褒めないように。もし、学習者が難に遭い、励まさないと立ち直れないのであれば、適度に相手を励ます言葉を言ってもいい。そうでなければ、軽々しく言わないほうがいい。あなたの一言は相手の執着を強める恐れがある。

 2007年3月21日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/3/20/151137.html