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神韻芸術団の公演は重要な情報を伝達している(写真)


 文/オーストラリアブリスベーン 婉青

(明慧日本)新唐人神韻芸術団による、2007年全世界華人新年祝賀祭の巡回公演は北米、ヨーロッパ、日本の18カ所の都市で、47回公演された後、3月17日にブリスベンで、オーストラリアでの公演を始めた。神韻芸術団は中国の正統な神伝文化を主題に、高度で完璧なパフォーマンスをもって、全世界での巡回公演の中、すべての都市で、中国の神伝文化と中国古典舞踊に対するブームを引き起こした。新唐人全世界華人新年祝賀祭が現したことは、神伝文化は全世界に属するということである。

「創世」のスチール写真

 最初の演目「創世」は新年祝賀祭の魂である。「創世」は大型の歌舞の形式と素晴らしい勢いで、慈悲なる主佛が多くの神仏を率いて、世に下り宇宙を救う偉大な志を述べている。世に下ってから、すぐさまに神々をつれて、大唐の繁栄文化を創始することを通して、中国の神伝文化の起源を明らかにしている。もし私たちがこの人類の歴史を見れば、どの国、どの民族、どの言語であっても、みな数多くの神の伝説があり、みな人と神の共存した物語があり、みな神の足跡があることに気づく。ただ時間の推移によって、人々はすでに自分の来歴を忘れたか、或いは少しずつ忘れてしまい、人類社会の発展に従って、今日の人々はどんどん現実を重んじ、神仏の存在を信じなくなっている。一部の人は宗教を信奉しているが、それもただそれを一種の儀式にするだけで、一部の人は現実から逃避するために出家している。しかし、「創世」は会場にいたすべての観客の心の深いところに強烈な衝撃を与え、久しい時代に封じられた人々の記憶を蘇らせ、観客と共鳴し、人々は神佛の巨大な慈悲に包まれる。「創世」は再び人々に、神仏は人類を救うために世にくだって、人類の文明と文化を創始したことを伝えており、人類の芸術が神仏に対して賛美するのは当然である。

 「精忠報国」、「花木蘭」は観客に人間としては、必ず岳飛や、花木蘭のように、忠誠心と孝行心を持ち、人情を重んじるべきであると伝えている。「帰位」は人々に人間の正しい信念、法輪大法は正法であり、善悪には報いがあるという道理を明らかにしている。「燭光」が人を感動させるところは、今の法輪功修煉者の人々の命を救うために、中共の強暴を恐れないことであり、寛容で、善なる、高い境界の慈悲を現している。いろんな機会を利用して世の人々に真相を伝えるが、中共に迫害されて命を失ってしまう。これらは人に思わず神仏が世に下り人類を救う偉大な志を連想させる。見た後は、涙がほろほろと流れ出し、気持ちが落ち着かない。テノールの声楽家・関貴敏氏の歌う「私は誰か」を聞き、人々は思わず、人間は一体どこから来たか、またどこに行くか、人はどのように生きるべきか、について思考せざるをえない。これらはすべて私たちがいま深く考えるべき問題である。

 芸術鑑賞の角度から神韻芸術団を見ると、優美で荘重な踊り、まろやかで潤いのある、人を引き付ける歌声、優雅ですばらしい楽曲、美しく壮観なすばらしい景色を加え、天上と下界を現し、人を賛嘆させ、感慨させる。まるで「世の中に再び天国が映されて輝く」ようだ。演目全体の博大で、奥深い内容は更に人に思いが尽きず、すべてのシーンは人に感動を伝える。同時に自分に縁があって、この新年祝賀祭をみることができたことを幸いに思い、鑑賞後、得た収穫がとても多いと感じ、精神的な昇華を感じる。

 また、もう一つ、深く感じることは、公演全体の主な目的は、神仏は神韻芸術団の公演を通して、私たちに一つの重要な情報を伝えているということである。声楽家・白雪さんの歌っているように「貧しい人も富める人も、大難を避けるすべはない。ただ慈悲の救いあるのみ、早く真相を探そう」である。人を感動させる素朴な歌詞には真相が含まれていて、人を深く考えさせる。われわれは神韻芸術団の演出を見ると同時に、早く真相を探すべきである。遠くない将来、歴史は人々に、神韻芸術団の演出を見られたことは如何に幸運であるかを教えるだろう。

 2007年3月21日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/3/20/151144.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/3/24/83877.html