近頃心を放下して法を勉強する心得
文/大陸の大法弟子
(明慧日本)今まで法を勉強するとき、心を放下できないので、雑念が多く、目は法を見ていても考えが法の上になく、集中しようと努力しても何行か見た後、注意力がまた分散してしまう状態でした。
師父は『米国フロリダ州での説法』の中で次のように講じられました。「法を学ぶ際、形式に拘らず、必ず心を放下して読み、本当に学び、心ここにあらずとなってはいけません。注意力が分散してしまえば、無駄になります。他の面から言えば、もし法を学ぶときに思いが法になければ、一つの形式の問題であるだけではなく、実は法を学ぶ者が法に対しても尊敬していないことになり、それで法が現れてくることはあるのでしょうか?」
この精進していない状態を改善しようと、『転法輪』を覚え始めました。今日まで1カ月ぐらい経ちましたが、第3講まで進んで、法理での高まりをとても明らかに感じましたので、自分が心を放下して法を学び感じたいくつかの利点を次のようにまとめました。
1.暗記というのは考えが最大限に集中しないと覚えられないので、雑念で目が見ていても考えが法の上にないとできず、考えが集中すればするほど効果が著しいのです。ただ短い法を暗記することで絶えず新しい認識、新しい理解が湧いてきて、執着心も明らかに弱まり、思想業力も一掃でき、頭がはっきりするようになって、体も軽やかです。更に重要なのは、法をよく勉強できれば、強い正念を持つことができ、物事を運ぶ力も沸いて出るし、知恵も同じく絶えず沸いてくるので、三つの事をうまくやれるのです。法の勉強に精進していないときは、とても忙しく、とても疲れているにもかかわらず何もできていないような感じはありません。
2.いつでも強い正念を持つことができ、更に精進できます。言うまでもなく私達の正念は大法から生まれるので、頭の中に大法が多ければ多いほど、印象が強ければ、正念も強くなります。大法を全部覚えれば、いつでも強い正念を保つことができ、いつも精進の状態でいられるようになります。
3.法を暗記することによって、考えが集中しやすくなりました。暗記してから、『転法輪』を通読したり、師父の説法のビデオを見たりする時、考えがとても集中できるようになり、しかも簡単に最後までこの状態でいられるようになるのは意外な発見でした。これは暗記する前にはめったになかったことです。それに通読の速度はわざと速く読むのではないのに、明らかに前より速くなりました。
もうひとつ感じたのは覚えれば覚えるほど覚え易しくなり、スピードが速くなります。例えば最初一日に1ページを覚えますが、時間に従って、だんだん毎日同じ時間で1ページ半、2ページ……を覚えられるようになります。
とにかく法を暗記することによって益をたくさん受けました。これからも続けたいと思います。同時に師父の経文、説法のビデオを合わせて、寝る前と朝に、やっています。この2つの時間帯は割合に静かで、夜法を勉強してすぐに寝て、朝起きてすぐ法を勉強するので、思想の活動と外部の妨害がないので、印象が深いです。
『転法輪』を暗記する時、一講或いは何講かを繋いで最初から最後まで全部覚えるように自分に要求していません。例えば「煉功するその人が功を得る」のような一節を連続して覚えられるようになったら次へ進むようにしています。繰り返して復習はしていません。時間があまり長引くと法の勉強の進み具合に影響しますので、忘れた部分があっても、一旦『転法輪』を全部覚え終わったら、もう一回最初から覚えればいいと考えます。こうするほうが比較的速いと思います。
以上は私が心を放下して法を勉強する感受と経験で、同修に参考になればと思います。不適切なところがあればご指摘を願います。
2007年3月25日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/1/25/147428.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/2/20/82842.html)
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