二言三言:静かな心で法を学ぶ
(明慧日本)ある日、私と2人の同修グループで法を学ぶとき、法を学ぶ前に簡単な取り決めをした:1、むやみに動かない;2、きちんと座る;3、一人一段落を通読する。他の人が読む時、それ以外の人は黙読して、席をはずさない。間違って読んだときは、次の段落を読む人だけが指摘する、他の人は言わない。目的は主意識を強化し、静かに法を学ぶ環境を維持するためである。
学法を始めて、同修は荘厳で、緩慢で、はっきり法を読み、一字一字は地面について音がするようだ。『転法輪』の5ページ目を読んだ時、一つの光景が私の目の前にはっきりと現れた:師尊は高くて大きくて、私達3人を連れて下りて来られる様子だ。私達3人は7,8歳の子供ぐらいで、談笑して跳んだり跳ねたりして、足はめでたい雲を踏んで下に向かって歩いていた、師尊は思惟伝達で私達に言い聞かせた:人の世は非常に険しいが、あなた達が下りた後にいつも一緒にいる。私はその時感動して涙がはらはらと溢れ、同修が法を読むことに影響しないように、黙々と涙を拭いた。
この時、また師尊が私達に説法されたことを思い出した、私達が同修の縁を大切にして、修煉し成就した後、会うことは、ほとんどあり得ないことだ。普段自分が小さなことで同修とこだわることを振り返って、誰かがよい、誰かがよくないと、寛容になることができず、思い出しても本当に師尊の教戒に合わせる顔がない。今後この縁を大切にして、ある同修の言ったように:議論せず、円容で、衆生を救度し、師父に従って家に帰ろう。私は師尊が私達の集団学法を堅持しておられることを、正しくしっかりとこの道を歩くように励ましておられることを知っている。
別の日、私は自分の家で法を通読して、心はとても静かに読んでいるとき、脳の左側から一つの雑念が入ってきた、私は発正念で解体した。引き続き読んでいると、また右側から一つの雑念が入ってきた、また発正念でそれを解体した。引き続き法を学んでいると、また脳の中間から一念が入ってきた:私には顕示心理がある。私はすぐ発正念でそれを解体したが、効かない、また発正念しても効かない、最後に師尊に加持してそれを解体していただいた。
この時、ある声は私に言った:このように私には顕示心理があり、顕示心がまた来た、私はすぐ分かった、私は間違えた、その顕示心を自分であると見なした。それを抱いてどのようにそれを取り除くことができるか? 私は大法学習者で、真、善、忍で構成された生命だと、徹底的にそれを解体し、瞬間で廃棄した。影も形もなくなった。私はまた静かな心で法を学んだ。師尊の慈悲の加護に感謝し、師尊はいつも、いつも私達の身の回りで大法弟子を看護しておられる、私達は静かな心で法を学べば、大法はできないものはない。
2007年3月29日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/3/21/151196.html)
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