安逸心を求める同修に呼びかける
(明慧日本)2006年11月下旬から、私は自分の修煉について慢心するようになり、法を学ぶ時も心を静めることができなくなり、発正念を怠るようになった。夜零時になって発正念するときも起きろうとせず、同時に脳裏にはある声が私に、発正念するため起きなくても、横になったままでもできると教えていた。その後、私は時計のアラームの音が聞こえなくなり、さらには同修が起きて発正念することすら気づけなくなった。その後、体には重いものがのしかかっているかのように重くなり、発正念しようとしてもできなくなった。私も自分の状態が正しくないのを感じているが、それでも制御できずその声に従って行動していた。最後に自分の死亡した細胞をすべて出すことすら声の指示通りに行動していた。このように、私の体は異常な状態になり、何も食べられなくなり、しかも左腹が刃物に刺されるほど痛くなった。そして脳裏の声は私にこの痛みは肝臓癌だと言いだした。その後、体中が痛くなり、着ている服に触れるだけで気絶しそうな痛みであった。しかも意識がはっきりせず、昏睡状態が続いた。
このようになって、私は初めて問題の重大性に気づき、初めて自分自身を探すようになった。私は大法弟子であり、しかも今は正法時期であるため、邪悪はまだ大法と大法弟子を迫害している。脳裏の声は私を死にいたらせようとしている。これは決して師父の按配ではない。師父は、「かれらが修煉の段取りを考えてくれます。そういう形で修煉して成就したら、あなたはどこへ行くのでしょうか?かれらが面倒を見た者は、上のどの法門にも受け入れてもらえません」(『転法輪』)とおっしゃっていた。また、師父は「将来これらを見れば、全ては相当綿密に按配されていると分かります。わたしが按配したのではなく、それらの旧勢力が按配したのです。」(「米国フロリダ州での説法」)このとき私は初めて悟った。脳裏にある声は、発正念しなくてよいと言っているのだが、これらのすべての按配は旧勢力から来たものであり、迫害である。これらは師父の按配された道ではなく、それらは本当の私の声ではない。
私は大法弟子であり、師父は旧勢力を認めず、私も旧勢力を認めない。私は師父の按配してくださった道しか歩まないのだ。このように考え、私は涙を流しながら師父に対して、「私は間違っていました。どうかもう一度この意気地ない弟子に機会を与えてください。私は必ずしっかり行います」と願った。その後、私は自分を妨害する要素を発正念で取り除き、同修も私を助けてくれた。このようにして、三日後、重い病状がすべて消えた。慈悲なる師父が私をもう一度救ってくださったのだ。
私は鳳城のある農村に住んでいる。1999年3月に修煉し始めた。修煉前に私は脳から内臓、さまざまな病気を患っていた。しかし、法輪功を修煉することで、これらの病気はすべて消えた。自分が修煉して数ヶ月間しかたっていないのに、長年の病気がすべて消えてなくなった。しかし、その数ヶ月後に迫害が始まった。私はこのような残酷な迫害の中でも師父と大法に対する信念を動揺せず、今日まで信じる心一心でここまでやってきた。
一人の大法弟子として、法をもって歩んできた道をはかり、精進する同修と比べると、まだまだ不足はたくさんある。三つのことにおいても時には精進するか、精進しないときもよくある。私がこのような旧勢力の道を歩み、迫害されて危険な状態に陥ったのは、法への理解が浅く、修煉を緩め、精進しなくなり、常人の安逸な状態を求め始め、旧勢力の按配を見抜けなかったからである。
この経歴を書きだして、私と類似するような、常人の安逸心を求める同修に警鐘を鳴らし、すべての常人の観念を取り除き、正念をもって正々堂々と修煉するように促すためにある。
2007年4月7日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/4/5/152134.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
|
|