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陝西、吉林、河北:3人の法輪功学習者が迫害され、亡くなった

(明慧日本)

 1、陝西省宝鶏市の法輪功学習者・高義敏さんは迫害でなくなった

 2007年2月22日、陝西省宝鶏市の法輪功学習者・高義敏さん(63歳女性)が迫害されて亡くなった。高義敏さんは1997年法輪功と出会った後、体も心も健康になり、法輪功を修煉する決意は固まった。2001年、高さんは法輪功の真相を伝えているとき、悪徳な警察官に不法に連行され、労働教養3年を言い渡された。陝西省女子労働教養所に拘禁され、人間地獄の中にいるように精神面も肉体面も残酷に迫害された。2002年4月〜7月、学習者たちは女子労働教養所で「拘束服」(拷問方式の一つ、つけられる人は自分の手も足も、全身が動かなくなる)を強制的に着せられ、睡眠も許されず、長時間、壁に面して立たせられて迫害された。高義敏さんは何日間も「拘束服」をつけられた。労働教養所から釈放された時、両手はベルトさえ締められなくなって、自力で日常生活ができなくなり、2007年2月22日に高さんは亡くなった。

 2、吉林省長春市の法輪功学習者・孫暁秋さんは迫害でなくなった

 吉林省長春市の法輪功学習者・孫暁秋さん(50代女性)は、長春幼児師範学校数学教師で、1995年法輪功を修煉し始めた。中共による法輪功に対する迫害が始まった後、彼女は北京へ行った。その後、2003年5月から2004年5月まで不法に長春黒ズウイ子女子労働教養所に拘禁されていた。彼女は法輪功を放棄しようとしないため、監禁期間はさらに40日間延期された。悪徳な警察官たちはまだまだ延期したがるので、「私の母を帰らせなければ、あなたたちを訴えてやる」と孫さんの娘さんは侯智宏(警察)と王麗華(警察)に言って、孫さんはやっと労働収容所から帰った。

 仕事に復帰した後も、桂林通り警察出張所の悪徳な警察官たちはしょっちゅう学校に行って邪魔をした。2005年1月6日午前、授業中の孫さんは長春市610事務所の人に長春市興隆山洗脳クラスに送り込まれた。2005年の旧暦大晦日の前に、長春市610事務所の人は孫さんの勤め先に行って、「年末年始(旧暦)をすぎたら、またやってやる」と口にして、さらに孫さんの娘さんの大学院の進学可否について孫さんを恐喝した。

 孫さんはやむを得ず、家から出たあと、その後、勤め先の学校から除名された。2007年3月、孫さんはすでに迫害でなくなったという情報が入った。孫さんの死亡事件についての情報提供について皆さんのご協力をよろしくお願いいたします。

 長春市桂林通り警察出張所 電話:0431−5643756

 3、河北省三河市の法輪功学習者・徐万華さんは迫害されて亡くなった

 徐万華さん(52歳女性)は元河北省三河市カーペット工場の職員。1997年、法輪功を修煉し始めた。もともと徐万華さんは重い高血圧、心血管病、関節炎などの病気を持っていたが、法輪功を修煉した後、これら病気は全部吹っ飛んだように完治した。1999年4月25日、徐さんは法輪功の真相を伝える為に北京へ陳情に行った。1999年7月20日、徐さんは朝早く北京へ向かって出発した。翌日の7月21日、徐さんは三河市政府へ陳情に行った。その日は異様に暑くて、気温は40度以上あった。法輪功によって自分は重大な病気から健康を回復して、すべての病気が完治したという事実を持って、徐さんは「共産党が法輪功を弾圧するのは間違っている、政府にはっきり分かってほしい」と言った。勤め先の4人の若者は徐さんの手と足を引っ張って、強引に彼女を退去させようとしたができず、徐さんはどうしても法輪功の真実を政府に伝えたいと言った。

 2000年、徐さんは三度目の陳情に行く為に、北京へ向かったが、この時、信訪局(陳情の受付機関)はもう「信訪局」ではなくなって、「捕まえ局」になっていた。徐さんは不法に北京前門警察出張所に捕まえられ、三河留置場に送り込まれた。留置場に拘禁されていたとき、法の暗唱と煉功を行なった為、徐さんは警察官に皮のベルトで打たれたり、棒で打たれたり、スタンガンで電撃されたり、酷く虐待された。徐さんは断食してこのような迫害に抗議して、さらに留置場の悪徳な人たちによる残酷な「灌食」(人道主義からの灌食ではなく、拷問の一種)迫害を受けた。中国共産悪党による長期の迫害で、精神面も肉体面も追い詰められ、2006年8月、徐さんは亡くなった。

 2007年4月9日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/4/6/152200.html